イオン・ミハイ・パチェパ

イオン・ミハイ・パチェパ：冷戦を駆け抜けたスパイの生涯

イオン・ミハイ・パチェパ（Ion Mihai Pacepa）は、1928年10月28日にルーマニアのブカレストで生まれ、2021年2月14日に92歳で亡くなったルーマニア出身のスパイ、諜報員、作家です。ルーマニア共産党政権下で秘密警察「セクリターテ」の中将を務めましたが、1978年にアメリカへ亡命し、その後はCIAに協力して共産主義陣営の作戦に対抗しました。パチェパの亡命は、冷戦期の情報戦において重要な出来事とされています。

生い立ちとセクリターテでのキャリア

パチェパは、ルーマニアが共産主義化する以前の時代に、ブカレストで生まれました。父親はトランスィルヴァニア出身で、ブカレストでジェネラル・モーターズに勤務していました。パチェパは、ブカレスト工科大学で工業化学を学び、卒業直前にセクリターテにスカウトされ、その後、防諜局、そして対外諜報局へと異動しました。

1957年、パチェパは西ドイツのフランクフルト支局に配属され、2年間勤務しました。1959年には、ルーマニアの内務大臣でありセクリターテの長官でもあったアレクサンドル・ドラギーチによって、産業スパイ局の局長に任命されました。パチェパは、ルーマニアの産業スパイ活動を統括し、自動車産業の設立やマイクロ電子工学、重合体、抗生物質の製造にも深く関わりました。また、1966年には対外諜報局の副局長に、1972年からはニコラエ・チャウシェスク大統領の顧問として、産業・技術開発、国家安全保障を担当しました。1974年には中将に昇進しています。

アメリカへの亡命

1978年7月、パチェパはチャウシェスクの指令で西ドイツへ向かいましたが、そこでアメリカへの政治亡命を求めました。ジミー・カーター大統領はこれを受け入れ、パチェパはアメリカ空軍機でアメリカへ移送されました。亡命の背景には、パチェパがチャウシェスクから、個人崇拝を批判していたラジオ・フリー・ヨーロッパのルーマニア語版局長、ノエル・ベルナードの暗殺指令を受けたことがありました。パチェパは、暗殺者になるよりも亡命の道を選んだのです。

パチェパの亡命は、チャウシェスク政権に深刻な打撃を与えました。西側諸国は、パチェパの証言や情報提供により、ルーマニアの諜報網やチャウシェスクの秘密を把握することができたのです。これにより、チャウシェスクは多くの政府関係者を解任し、政権は大きな混乱に見舞われました。また、パチェパの亡命は、チャウシェスクの国際的な信用を失墜させることにもつながりました。

チャウシェスクは、パチェパを国家反逆罪で死刑判決を下し、財産を没収し、さらに賞金をかけて暗殺を試みました。国際テロリストのカルロスにパチェパ暗殺を依頼したことも、後に明らかになっています。

亡命後の活動と執筆活動

アメリカに亡命したパチェパは、CIAに協力し、共産主義陣営に対する様々な作戦に関与しました。また、複数のメディアで記事を執筆し、自身の経験や共産主義体制の裏側を暴露しました。

1987年には、著書『Red Horizons: Chronicles of a Communist Spy Chief』（邦題：赤い王朝 チャウシェスク独裁政権の内幕）を出版しました。この本は、チャウシェスク政権の内情を詳細に描き出し、ルーマニア国内外で大きな反響を呼びました。ルーマニアでは、ラジオ・フリー・ヨーロッパが本書を紹介した際に、街から人が消えたと伝えられるほどでした。この本は、27カ国で出版され、日本語にも翻訳されています。

他にも、『The Kremlin's Legacy』や『The Black Book of the Securitate』などの著書を出版し、共産主義の脅威やソ連の諜報活動の実態を告発しました。

その他の活動と政治批評

パチェパは、KGBによる暗殺計画について、ジョン・F・ケネディや毛沢東など、多くの政治指導者が標的にされていたと主張しています。また、著書『Programmed to Kill: Lee Harvey Oswald, the Soviet KGB, and the Kennedy Assassination』では、ケネディ大統領暗殺事件はKGBの関与によるものだと主張しました。

さらに、パチェパはソ連が中東における反米感情やテロリズムを助長していると批判し、バチカンに対するソ連のプロパガンダ工作を暴露しました。イラク戦争においては、アメリカ軍のイラク侵攻を支持し、反戦デモをロシアの策謀だと非難しました。

死とその後

2021年2月14日、パチェパは新型コロナウイルス感染症により亡くなりました。アーリントン国立墓地に埋葬されています。パチェパの亡命は、冷戦時代における諜報活動の歴史において、重要な転換点となりました。彼の著書は、共産主義政権の裏側や諜報活動の実態を知るための貴重な資料となっています。また、ルーマニアの最高裁判所は、パチェパに対する死刑判決を無効にし、没収された財産を返還するよう命じましたが、ルーマニア政府はこれを拒否しています。

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