イボニシ

イボニシ：謎多き潮間帯の肉食巻貝

イボニシ( Thais clavigera)は、アッキガイ科に属する巻貝の一種です。極東アジアから東南アジア沿岸に広く分布し、潮間帯の岩礁地帯で最も一般的な貝の一つとして知られています。その殻は2～4cmほどの紡錘形で、表面には多数の低い突起があり、灰白色から淡褐色の地色に黒色や黒褐色の斑紋が広がるのが特徴です。内側はクリーム色をしており、殻は堅牢です。

イボニシは、主にカキやフジツボなどの固着性生物を捕食する肉食性です。獲物の貝殻に穿孔腺から分泌される酸と歯舌を用いて穴を開け、内部の肉を食べる習性があります。シマレイシガイダマシのように殻に直接穴を開けるのではなく、殻の合わせ目に微細な刻み目をつけ、そこから毒を注入して獲物を弱らせてから捕食することも知られています。このため、カキ養殖においては、アカニシやレイシガイとともに重要な害貝とされています。

しかし、イボニシの生態には未だ解明されていない点が多く残されています。特に、和歌山県田辺湾に生息する個体群は、殻の形態や食性、遺伝子レベルで大きく異なる二型が存在することが明らかになっています。これらの二型は、C型とP型と呼ばれ、C型は殻高が大きく結節がとがっているのに対し、P型は殻高が小さく結節が丸みを帯びています。食性においても違いが見られ、C型は成長に伴い様々な餌を摂食するのに対し、P型はイワフジツボをほぼ専食することが知られています。遺伝子解析の結果、これらの二型は遺伝的に異なるグループであることが示唆され、イボニシが複数の種に分類される可能性も示されています。

イボニシの繁殖は、初夏から盛夏にかけて行われます。数百から数千個体が岩礁に集まり、多数の卵嚢を産み付けます。卵嚢は細長い筒状で、一つの卵嚢には約130個の卵が含まれています。卵は最初は黄色みを帯びていますが、発生が進むにつれて灰褐色に変わり、やがて幼生が孵化します。孵化したベリジャー幼生は、植物プランクトンを食べて成長し、その後は粘液の糸を出して浮遊生活を送ります。

20世紀後半には、船舶の防汚塗料として使用された有機スズ化合物による海洋汚染が、イボニシを含む多くの貝類にインポセックス（雌に雄の生殖器が形成される現象）を引き起こし、個体数を激減させました。しかし、その後有機スズ化合物の使用規制が行われたことで、一部地域では個体数の回復が見られるようになっています。

イボニシは、独特の苦味があるものの、古くから食用とされてきました。塩茹でや煮付け、味噌汁の具などとして利用され、殻を潰して作るニシ汁も知られています。また、外套腔内の鰓下腺から分泌される分泌液は、貝紫染料として利用されてきました。この染色は現在では体験学習として行われることが多いですが、イボニシは古くから人間生活に深く関わってきた貝類の一つと言えるでしょう。

イボニシの分類学的混乱は、学名との対応や、タイプ標本の産地が不明であること、地域による形態の多様性などからも、更なる研究が必要であることを示しています。田辺湾のC型とP型に関する研究は、イボニシの多様性と進化を理解する上で貴重な知見を提供しています。今後の研究により、イボニシの分類や進化史、そして生態に関する理解がさらに深まることが期待されます。

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