ウォレス線

ウォレス線（Wallace Line）

ウォレス線とは、インドネシア諸島に存在する、生物の地理的な分布を区分する重要な境界線です。この線は、具体的にはインドネシアのバリ島とロンボク島の間に位置するロンボク海峡から北へ延び、スラウェシ島の西側を通過し、マカッサル海峡を経てさらに北上し、フィリピンのミンダナオ島南部に至るとされています。この境界線が生物学的に注目されるのは、その西側と東側で生息する動植物のグループが大きく異なるためであり、生物地理学における古典的かつ非常に重要な概念の一つです。1868年にイギリスの博物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレスによってその存在が提唱され、彼の名誉を称えてウォレス線と名付けられました。この境界線は、発音の違いからウォーレス線、あるいはワラス線と呼ばれることもあります。

ウォレス線が示す生物分布の差異は極めて顕著です。線の西側に位置する島々、例えばバリ島、ジャワ島、スマトラ島、ボルネオ島といった地域や、さらに西のアジア大陸本土の生物相は、一般的に「東洋区（Orientale）」としてまとめられます。この東洋区は、アジア大陸に由来する多様な生物群が特徴であり、例えば多くの種類のネコ科動物、ゾウ、サイ、テナガザル、オランウータンなどが生息しています。一方、ウォレス線の東側の地域、具体的にはロンボク島、スラウェシ島、モルッカ諸島、小スンダ列島の一部、そしてそのさらに東に広がるニューギニアやオーストラリアなどの生物相は、「オーストラリア区（Australasia）」の特徴を強く帯びています。オーストラリア区の生物相は非常に独特で、有袋類（カンガルー、コアラなど）や単孔類（カモノハシ、ハリモグラ）といった他の大陸では見られない生物が多く生息しています。また、鳥類や爬虫類、両生類など、様々な生物群において東西で明確な違いが見られます。ウォレス線は、これら二つの大きく異なる生物群が集まる境界として機能しているのです。

このような生物分布の大きな違いがなぜ生じたのかは、地球の地質学的歴史、特に過去の氷河期における海面の大規模な変動によって説明されます。地球が寒冷化する氷河期には、大量の水が極地や高山地帯で氷となって蓄積されるため、地球全体の海面が現在よりも大幅に低下しました。この海面低下期には、現在の東南アジア大陸棚の大部分が陸地として露出し、東南アジア半島部から現在のスマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島、そしてバリ島までが一つの巨大な陸塊となりました。この陸塊は「スンダランド（Sundaland）」として知られており、アジア大陸本土から多くの陸上生物がこの地域へ自由に移動し、分布を広げることが可能でした。同様に、東側では現在のオーストラリア大陸とニューギニア島もまた陸続きとなり、「サフルランド（Sahulland）」と呼ばれる別の大きな陸塊を形成していました。

しかし、興味深いことに、スンダランドの最も東側とサフルランドの最も西側の間には、たとえ氷河期の最大の海面低下時においても、常に比較的深い海峡が横たわっていました。この海峡こそが、現在のウォレス線が通過する、バリ島とロンボク島の間のロンボク海峡や、ボルネオ島とスラウェシ島の間のマカッサル海峡などの地域に対応しています。これらの海峡は、当時の陸続きであったスンダランドやサフルランドから移動してきた多くの陸上動物にとって、その移動を阻む決定的な障壁となりました。特に、泳ぎが苦手な、あるいは深い塩水を渡ることのできない多くの種類の哺乳類、爬虫類、両生類、淡水魚などは、この海峡を越えることができませんでした。その結果、スンダランドで独自の進化を遂げた生物群やアジア大陸から移住してきた生物群と、サフルランドで分化・発展したオーストラリア区の生物群は、この海峡を境として互いに混じり合うことなく、それぞれの地域で独自の生態系を維持・発展させていったのです。

氷河期が終息し、気候が再び温暖化して海面が上昇すると、かつて陸続きだったスンダランドとサフルランドは再び多くの島々に分断されました。しかし、ウォレス線に対応する位置に残った比較的深い海峡は、現在に至るまで生物移動の物理的な障壁として機能し続けています。そのため、過去の地質時代に形成された生物分布の違いは、現代のインドネシア諸島における生物相のパターンとして明確に観察されるのです。ウォレス線の発見は、単なる生物分布の観察に留まらず、地球の地史と生命の進化・分散がいかに密接に関わっているかを明らかにする重要な成果であり、現代生物学においてもその意義は広く認識されています。この線は、生物多様性の地域差を理解し、過去の地球環境変動が現在の生態系に与えた影響を考察する上での基礎概念となっています。

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