ウシカメムシ
ウシカメムシ (Alcimocoris japonensis)
カメムシ目カメムシ科に属する昆虫の一つです。本種は、前胸部の両端に発達した角のような突起を持つことが最も特徴的であり、その特異な形態から容易に識別できます。この角状突起が和名の由来となったと考えられています。
特徴
体長は8～9mm程度。全体の体色は淡黄色を基調としますが、体表全体に密に分布する黒い細かな点刻のため、見た目には暗褐色を帯びて見えます。頭部は黒褐色地に黄褐色の縦筋や複眼内側の小斑紋が現れます。触角は暗褐色で5節からなり、最も短いのは第1節です。
前胸背の前半部は前下方にほぼ垂直に傾斜しており、その両側は著しく突出して角状の突起を形成しています。この突起の先端は斜めに断ち切られたような形状で、やや後方に向かいます。垂直になった前胸背の前半部を前方から見ると、その前端部と両端部に顕著な黄白色の斑紋が見られます。
小楯板は大きく、基部の左右にはっきりとした白い斑紋があります。前翅の先端にある透明な膜質部は淡褐色を帯び、後端は腹部の末端に達します。体の下面は黄褐色で、粗く黒い点刻がまばらに見られ、正中線上には明瞭な黒色の縦条模様があります。歩脚は全体に淡褐色です。
和名の由来
「ウシカメムシ」という和名の由来が明確に記された文献は少ないようですが、前胸部の左右に突き出た角状の突起が牛の角を連想させることから名付けられたとする説があります。
分布
日本では本州、四国、九州に分布するほか、南西諸島の奄美大島、沖縄島、石垣島、西表島、波照間島、与那国島からも記録されています。国外では台湾、朝鮮半島、中国に生息しています。
興味深いことに、沖縄本島以南に分布する個体群は、本土産と比較して一回り小型で、体側面や小楯板基部の斑紋が小さいなどの差異が認められており、別種の可能性も指摘されています。
本種の分布に関しては、過去の記録をまとめた研究（Katsura & Miyatake, 1993）によって詳細に論じられています。それによると、本種は亜熱帯から暖温帯にかけて分布し、日本における分布域は本州の南西部に限られ、特に太平洋側では茨城県、日本海側では福井県までとされています。これらの生息地は海岸に近い暖地であることが多いようです。この研究では、本種の成虫の耐寒性が低い可能性が示唆されており、1月の平均気温が2℃のラインが記録地の範囲とよく一致することが報告されています。また、近年都市近郊の環境（例えば越冬に適した条件）が耐寒性の低い種の生息に有利に働いたことが、都市部での発見が増加した要因の一つではないかとも述べられています。
生息環境と希少性
ウシカメムシはかつて、照葉樹林などで少数が見られる稀少な種とされていました。1950年代や1970年代の図鑑には「頗る希な種」「ごくまれな種」として紹介されています。しかし、1990年代頃からは東京や大阪といった都市部の公園でも発生が報告されるようになり、その後の図鑑では以前のような稀少種としての記述は見られなくなっています。これは、かつては主に森林で見つかっていたものが、都市部の緑地でも生活できるようになったことと関連していると考えられます。ただし、比較的新しい文献（野澤, 2016）でも「数は少ないカメムシ」として紹介されており、現在でもごく普通に見られる種というわけではないようです。
見られる植物としては、アセビ、シキミ、サクラ、ヒノキなどが挙げられ、ナツミカンからの吸汁も報告されています。一方、生活史に関する詳細な報告（Katsura & Miyatake, 1993）では、主にアラカシやウバメガシ上で見られたとされています。
生態
かつては稀少で生態もあまり知られていませんでしたが、都市部での発見増加に伴い、生活史なども明らかになってきました。以下は主に大阪での調査に基づいた生活史の概要です。
- - 卵: 長さ約1.15mm、幅約0.93mmの球形に近い楕円形です。産み立ては白色ですが、孵化が近づくと褐色の模様や孵化器（egg-burster）が見えるようになります。表面は滑らかで、蓋の周囲には25個の小さな突起が並びます。卵はまとめて産み付けられ、その数は2～20個、通常は9～10個がやや不規則に集まった塊で見られます。
- - 幼虫: 5回の脱皮を経て成虫になります。
- 第2齢: 体長1.7～1.9mm、最大体幅1.8mm。やや五角形。眼は暗赤褐色。頭部と胸部は暗褐色で、胸部3節すべてに側面に鋭い鋸歯があります。前胸部両側前半、中胸部両端、後胸部後縁にかけて乳白色となります。腹部はおおむね赤色です。
- 第3齢: 体長約4.8mm、最大幅約4.2mm。全体として楕円形。頭部、胸部、腹部中央の背板は暗褐色です。前胸側面の突起は明確になってきます。前胸と中胸の側面にある鋸歯は2齢より多く、細かくなります。翅芽は中胸部側面後端に認められますが、後胸背板を超えるほどは発達していません。前胸と中胸に黄色い円形や横長の斑紋が現れます。腹部はおおむね乳白色です。
- 第4齢: 体長約5.5mm、前胸幅約4.7mm。概形は3齢とほぼ同じですが、やや横幅が広くなります。色彩もほぼ3齢と同様で、前胸部と中胸部の背面の模様がよりはっきりします。翅芽はさらに発達し、後胸部を超えるようになります。
- 第5齢: 体長5.8～6.2mm、前胸幅は体長より大きい約6.9mmになります。概形はほぼ逆三角形になります。おおむね暗褐色で、黄色の斑紋がより顕著になります。前胸部両側の角状突起はこの段階で非常によく発達し、体長よりも体幅が大きくなる要因となります。翅芽もさらによく発達して後方に突き出します。
生活史サイクルは、年間2世代を繰り返すと考えられています。成虫はアラカシやウバメガシなどの宿主植物上でほぼ一年を通して見られますが、春と秋に多く、冬にもよく見られる一方、真夏には数が減少します。越冬した成虫は3月末頃から活動が活発になり交尾を行います。産卵は5月から6月にかけて始まり、卵から成虫までの成長には1～2ヶ月を要します。最初の世代の成虫は6月から7月頃に出現し、これらも交尾、産卵を行います。第2世代の成虫は9月から10月頃に出現し、11月頃から越冬に入ります。ただし、このサイクルは主に大阪での調査に基づいているため、地域によってはより複雑な生活史を送っている可能性も示唆されています。
分類と類似種
ウシカメムシが属する属（Alcimocoris）およびその上位の族において、日本国内には本種のみが知られています。そのため、日本国内に類似する種は存在しません。本種は他のカメムシとは異なり、前胸部の左右に突き出す顕著な角状突起によって、一目で識別が可能です。その特徴的な姿から、「カメムシらしいカメムシ」として紹介されることもあり、小さいながらも「存在感のある格好いいカメムシ」と評されることがあります。この角は幼虫の5齢でもすでに発達しているため、幼虫の段階でも他のカメムシと区別しやすいです。
人間との関わり
ナツミカンからの吸汁が確認されていること、またヒノキにも付着することから、広義には害虫と見なすことも可能です。しかし、実際の被害はごく軽微であるとされており、特定作物の主要な害虫として深刻に取り上げられることはありません。見られる植物リストに名前が挙がる程度で、経済的な利害は取るに足りないものと言えます。
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