エルネスト・ルナン

ジョゼフ・エルネスト・ルナンの生涯と思想

ジョゼフ・エルネスト・ルナン（Joseph Ernest Renan, 1823年2月28日 - 1892年10月12日）は、19世紀フランスを代表する宗教史家、思想家です。彼は、近代合理主義の立場からイエス・キリストの伝記『イエス伝』を著し、その思想は当時の社会に大きな影響を与えました。また、「反セム主義」という言葉を最初に用いたとされる人物としても知られています。

若年期と宗教への懐疑

ルナンはフランスのブルターニュ地方、コート＝ダルモール県トレギエで生まれました。5歳で父親を亡くし、12歳年上の姉アンリエットが家計を支えるためパリで教師となります。信心深い姉アンリエットはルナンに大きな影響を与え、後に回想記も記しています。ルナンは母親の助けもあり、ブルターニュの神学校で優秀な成績を収め、聖職を目指してパリの大学に進学しました。しかし、そこで啓蒙主義的な科学知に触れ、カトリック信仰への懐疑を抱き始めます。聖職と知的誠実さの間の葛藤の末、ルナンは教会の超自然的で伝統的な信仰を捨て、「イエスの卓越した人格に対する信仰」を抱きつつ、聖職者の道を断念しました。

『イエス伝』の執筆

1860年から1861年にかけて、ルナンは政府の命でパレスチナの学術調査を指揮しました。この地でルナンは現地の風物に触れ、『イエス伝』の構想を練ります。しかし、調査中に姉アンリエットがマラリアで亡くなるという悲劇に見舞われました。このアンリエットの人格的影響がなければ、『イエス伝』はより過激な内容になっただろうと言われています。

1861年に帰国後、コレージュ・ド・フランスのヘブライ語主任教授に就任したルナンは、1862年の開講初日にイエスを「比類なき人間」と表現し、大きな物議を醸しました。これにより講義は中断され、1870年まで復職できませんでした。講義中断の翌年1863年、『イエス伝』が刊行されます。ルナンはイエスのヒューマニズムを称賛しつつも、「奇跡や超自然」を非科学的として排除しました。この近代合理主義的な視点による「史的イエス」の書は、ヨーロッパで広く議論を呼びました。

国民論とナショナリズム

ルナンは「国民（ネイション）」の定義に関する有名な言説でも知られています。1882年の講演「国民とは何か」で、ルナンは「ネイション」を、過去の犠牲と将来への連帯によって構成された精神的な原理だと定義しました。これは、フィヒテの「ネイション」概念が人種や言語といった客観的な基準に基づいていたのとは対照的です。ルナンは「国民の存在は…日々の国民投票なのです」という言葉で、国民の連帯意識の重要性を強調しました。このルナンの主張は、フィヒテの民族主義と対比され、理念に基づくナショナリズムとして理解されることが多いです。しかし、ルナンの主張は、普仏戦争で奪われたアルザス＝ロレーヌをフランスに帰属させるという彼の信念とも結びついていました。

文明の使命と人種主義

ルナンは、フランスの植民地主義を「文明の使命」として正当化しました。1871年の著書『知的道徳的改革』では、西洋人種が黒人、中国人、アラブ人などの「劣った人種」を征服し搾取することは当然だと主張しました。このような人種差別的な思想は、マルティニーク出身の黒人詩人エメ・セゼールやエドワード・サイードらによって厳しく批判されています。

アーリア主義

ルナンは、アルテュール・ド・ゴビノーよりも影響力が強いアーリア主義の宣伝者として活動しました。彼は著書『セム系言語の一般史および比較体系』で、セム族とアーリア族を人類の決定的な区分としました。ルナンは、アーリア人種が世界の主人となると述べ、セム人種は一神教を達成すると衰退すると主張しました。さらに、イエスはユダヤ的なものではなく、キリスト教はアーリア人の宗教であるとしました。

ルナンの思想は、同時代の人々だけでなく、後の時代にも大きな影響を与えました。彼の著作は、宗教、政治、民族、人種など、現代社会においても重要な問題を提起し続けています。

主要著作

『イエス伝』（1863年）
『国民とは何か』（1882年）
『セム系言語の一般史および比較体系』（1855年）
『知的道徳的改革』（1871年）
* 『思い出』（1883年）

ルナンは、その多岐にわたる活動を通して、19世紀の知的な動向に大きな影響を与えた人物です。彼の思想は、今日の社会においても重要な示唆を与えてくれます。

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