キブラ

キブラ

キブラ（アラビア語で「方角」を意味する Qibla）は、イスラム教徒（ムスリム）が一日五回行われるサラート（礼拝）を行う際に必ず向き合う、特別に定められた方角を指します。

現在、イスラム世界においてこのキブラとされる方角は、サウジアラビアのメッカに位置するマスジド・ハラームの中にあるカアバを指向するものです。ただし、イスラム教の教義では、アッラーフ（神）そのものには特定の方角は存在しないとされており、カアバはあくまでアッラーフに捧げられた、ムスリムが一体となって神へ向き合うための象徴的な建造物として位置づけられています。

歴史的な変遷と意義

イスラム教が始まった当初、キブラは現在の方向とは異なっていました。初期のムスリムたちは、エルサレムにあるアル・アクサモスクの方向を向いて礼拝を行っていました。しかし、ヒジュラ（預言者ムハンマドのメッカからメディナへの移住）後の西暦624年、キブラの方向は神の啓示によって現在のメッカにあるカアバへと変更されたとされています。この変更は、イスラム共同体が確立され、メッカがイスラム教の中心地としての象徴的な意味合いを強める過程とも関連付けられます。

実践と場所

イスラム教の礼拝堂であるモスクでは、礼拝者が容易にキブラを確認できるよう特別な工夫が凝らされています。マスジド・ハラーム自体を除くほとんどのモスクには、「ミフラーブ」と呼ばれる壁の窪みが設けられており、これがキブラの方角を示しています。ムスリムはモスクの外、自宅や職場、あるいは旅先など、いかなる場所にいても、礼拝を行う際にはこのキブラを特定し、その方向へ向かって立ちます。

方向の特定と現代の課題

歴史上、ムスリムがキブラの方角を知るためには、高度な天文知識や観測機器が必要でした。古くは、天体の位置を観測するためのアストロラーベといった道具が、旅をするムスリムによって携帯され、正確な方角を割り出すのに用いられました。

現代においても、特にイスラム諸国、例えばインドネシアやマレーシアといった国々の宿泊施設では、ムスリムの旅行者が礼拝を容易に行えるよう、部屋の天井などに「Kiblat」や「Qiblat」といった表示と共に、メッカの方向を示す矢印やマークが記されていることが多くあります。

しかし、広大な国土を持つ国でキブラの方向が計算通りに合っているかという問題や、地球上の定点に留まらない特殊な環境下でのキブラの決定は、時に議論の対象となります。例えば、宇宙空間のような無重力かつ高速移動する状況下では、地上と同じようにカアバの方向を定めることが困難です。マレーシア初の宇宙飛行士であるシェイク・ムザファ・シュコアが国際宇宙ステーション（ISS）に滞在した際には、世界中の100名以上の科学者や宗教指導者が集まり、宇宙空間での礼拝の方角について議論されました。その結果、特定の固定されたキブラを定めるのではなく、「宇宙飛行士自身の判断に委ねる」という、柔軟なガイドラインが策定されました。これは、キブラの目的が物理的な方向性だけでなく、神への心の向きを象徴するものであるという側面を強く示しています。

キブラは、ムスリムの信仰生活において不可欠な要素であり、世界中のムスリムが精神的に結びつくための重要なシンボルでもあります。その実践は、時代や環境の変化に応じて配慮や工夫が求められることもありますが、根底にある神への向き合いという意義は変わりません。

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