クゥイリーヌス

クゥイリーヌス：ローマ建国神話の影と光

クゥイリーヌス（Quirinus）は、古代ローマ神話における重要な神です。その起源はサビーニー人に遡ると考えられていますが、詳細なことは明らかになっていません。初期ローマにおいては、ユーピテル、マールスとともに主要な三神として信仰され、国家的な祭祀が行われていました。クゥイリーヌス祭は2月17日に行われ、穀物豊饒との関連性が指摘されています。

クゥイリーヌスという名は、サビーニー人の都市、クレースに由来するという説があります。また、ローマ市民を意味する「クィリテス」と語源が共通することから、平和を司る神として認識されていた時期もありました。平和時のマールスとしての側面も持ち合わせていたと考えられています。しかし、歴史時代に入ると、クゥイリーヌスの本来の性格は次第に忘れ去られていきました。ユーピテルやマールスといった他の神々の信仰と統合された結果、その役割や属性は曖昧になり、明確な神格は失われていったと考えられます。

クゥイリーヌスの変遷において、重要な出来事がロームルスの神格化です。ローマ建国者ロームルスは、ある日突然姿を消し、後にクゥイリーヌスとして神になったと伝えられています。この伝承により、ロームルスとクゥイリーヌスは同一視されるようになり、ロームルスの妻ヘルシリアはクゥイリーヌスの妻ホーラと同一視されるようになりました。また、ローマの七丘の一つであるクィリナーレの丘の名祖ともされました。ギリシア神話との関連性も指摘され、軍神アレースの別名であるエニューアリオスと同一視する見方もあります。

クゥイリーヌスは、ユーピテル、マールスとともに、カピトーリウム丘で祭祀された重要な神々の一柱でした。これら三神にはそれぞれ国家的な神官（フラーメン）が奉仕しており、クゥイリーヌスの神官であるフラーメン・クゥイリナーリスは、ユーピテル、マールスに次ぐ重要な地位を占めていました。フラーメン・クゥイリナーリスが司る祭祀には、麦の病気の神ロービーグスの祭、穀物神コーンススの祭、アッカ・ラーレンティアの祭などがあり、いずれも豊饒や地下世界と関連付けられています。これらの祭祀は、クゥイリーヌスが単なる軍事や平和の神ではなく、豊饒や富をも司る神であった可能性を示唆しています。

フランスのインド・ヨーロッパ言語学者ジョルジュ・デュメジルは、クゥイリーヌスを含む初期ローマの三神は、ローマ人とサビーニー人の合一という偶然の産物ではなく、それ以前から存在していた印欧語族共通の三機能イデオロギーに由来すると主張しています。この三機能とは、主権、武力、生産の三つの機能であり、クゥイリーヌスは生産、豊饒、富を司る第三機能の神であると解釈しています。

このようにクゥイリーヌスは、ローマ建国神話と深く結びつき、その信仰は時代とともに変遷を遂げました。初期ローマにおける重要な神として、軍事、平和、豊饒など多様な側面を持つ神であった一方、歴史時代にはロームルスの神格化という形で、そのアイデンティティを大きく変化させました。クゥイリーヌスを理解することは、古代ローマの宗教観、社会構造、そして建国神話そのものを理解することに繋がります。

もう一度検索