ジョルジュ・カンギレム
ジョルジュ・カンギレム（Georges Canguilhem, 1904-1995）は、20世紀フランスを代表する哲学者、科学哲学者の一人です。特に生命科学、医学、生物学といった分野の歴史と哲学的な考察を通して、現代思想にも大きな影響を与えました。
カンギレムは1904年6月4日、南フランスの小さな町カステルノーダリで、農家の子として生を受けました。パリに移り住み、高等中学校（リセ）で著名な哲学者アラン（Alain）に師事し、哲学の基礎を学びました。その後、フランスの高等教育機関である高等師範学校に進学。ここでは、後に世界的に知られる思想家となるジャン＝ポール・サルトル、ポール・ニザン、レーモン・アロンらと同時期に学びました。
学校を卒業した1929年からは、各地のリセで教師として哲学を教え始めます。教育者としての経験を積む中で、彼は医学への強い関心を抱き、トゥールーズで教師を務めていた時期には医学の勉強を開始しました。この医学的知識と哲学的な視点の融合が、彼のその後の研究の基盤となります。1955年には哲学の博士論文を提出し、その学識が認められます。師であるガストン・バシュラール（Gaston Bachelard）の後任として、パリのソルボンヌ大学哲学史・科学史講座の教授に就任しました。同時に、フランスの国立科学研究センター（CNRS）の所長も兼任。これにより、フランスにおける科学哲学・科学史研究の中心人物として、長きにわたり学界を牽引しました。
カンギレムの研究は、彼自身の医学への関心から出発し、やがて医学や生物学の基礎にある前提や概念を哲学的に問い直す方向へと深く進んでいきました。彼は、師バシュラールが提唱した認識論的な科学史のアプローチを取り入れ、科学の概念や理論がどのように形成され、変化してきたのかを歴史的に分析しました。特に、生物学における「生命」の理解を根本的に問い直し、生命現象を単なる物理的・化学的反応に還元しようとする機械論的な考え方を厳しく批判しました。
彼の最も重要な貢献の一つは、「正常」（normale）と「異常」または「病理」（pathologique）という概念の再定義です。カンギレムは、これらの概念を単なる統計的な平均からの逸脱や、客観的な機能不全と捉えるのではなく、生命体に内在する「規範」（norme）という視点から考え直しました。生命体は、単に環境に適応するだけでなく、自らの生を維持・発展させるために、状況に応じて新たな行動様式や生理状態を生み出す能力、すなわち「規範を創造する力」を持っているとしました。病理とは、この生命体が持つ規範を再確立・再創造する力が損なわれた状態であると考えたのです。この考え方は、健康や病気といった概念を理解する上で、医学だけでなく哲学や社会学にも大きな示唆を与えました。
また、カンギレムの科学史研究は、特定の概念や理論がどのように生まれ、進化し、あるいは衰退していったのかを、その時代の知的・社会的背景とともに追跡する「系譜学的」な手法を特徴としています。この手法は、後にミシェル・フーコー（Michel Foucault）やポール・ラビノー（Paul Rabinow）といった思想家たちによって引き継がれ、彼らの研究においても重要な役割を果たしました。
彼の代表的な著作には、病理学の哲学に関する初期の考察をまとめた『正常と病理』（Le normal et le pathologique, 初版1943年、増補改訂版1966年）、生命の概念について論じた『生命の認識』（La connaissance de la vie, 1952年）、反射概念の歴史を扱った『反射概念の形成』（La formation du concept de réflexe aux XVII et XVIII siècles, 1955年）、科学史・科学哲学に関する論考集『科学史・科学哲学研究』（Etudes d’histoire et de philosophie des sciences, 1968年）、そして生命科学におけるイデオロギーと合理性の問題を扱った『生命科学の歴史』（Idéologie et rationalité dans l’histoire des sciences de la vie, 1977年）などがあります。これらの著作の多くは日本語にも翻訳されており、日本でも彼の思想に対する関心は高いです。
ジョルジュ・カンギレムは、単なる知識の集積としての科学史ではなく、概念がどのように生まれ、機能し、変容するのかを哲学的に問い続けた科学哲学者でした。彼の、生命を単なる物理化学的現象として捉えることを拒否し、その特異性や規範創造能力を強調する思想は、現代の生命倫理や科学技術論においても、なお重要な視点を提供し続けています。
生涯とキャリア
カンギレムは1904年6月4日、南フランスの小さな町カステルノーダリで、農家の子として生を受けました。パリに移り住み、高等中学校（リセ）で著名な哲学者アラン（Alain）に師事し、哲学の基礎を学びました。その後、フランスの高等教育機関である高等師範学校に進学。ここでは、後に世界的に知られる思想家となるジャン＝ポール・サルトル、ポール・ニザン、レーモン・アロンらと同時期に学びました。
学校を卒業した1929年からは、各地のリセで教師として哲学を教え始めます。教育者としての経験を積む中で、彼は医学への強い関心を抱き、トゥールーズで教師を務めていた時期には医学の勉強を開始しました。この医学的知識と哲学的な視点の融合が、彼のその後の研究の基盤となります。1955年には哲学の博士論文を提出し、その学識が認められます。師であるガストン・バシュラール（Gaston Bachelard）の後任として、パリのソルボンヌ大学哲学史・科学史講座の教授に就任しました。同時に、フランスの国立科学研究センター（CNRS）の所長も兼任。これにより、フランスにおける科学哲学・科学史研究の中心人物として、長きにわたり学界を牽引しました。
研究と思想
カンギレムの研究は、彼自身の医学への関心から出発し、やがて医学や生物学の基礎にある前提や概念を哲学的に問い直す方向へと深く進んでいきました。彼は、師バシュラールが提唱した認識論的な科学史のアプローチを取り入れ、科学の概念や理論がどのように形成され、変化してきたのかを歴史的に分析しました。特に、生物学における「生命」の理解を根本的に問い直し、生命現象を単なる物理的・化学的反応に還元しようとする機械論的な考え方を厳しく批判しました。
彼の最も重要な貢献の一つは、「正常」（normale）と「異常」または「病理」（pathologique）という概念の再定義です。カンギレムは、これらの概念を単なる統計的な平均からの逸脱や、客観的な機能不全と捉えるのではなく、生命体に内在する「規範」（norme）という視点から考え直しました。生命体は、単に環境に適応するだけでなく、自らの生を維持・発展させるために、状況に応じて新たな行動様式や生理状態を生み出す能力、すなわち「規範を創造する力」を持っているとしました。病理とは、この生命体が持つ規範を再確立・再創造する力が損なわれた状態であると考えたのです。この考え方は、健康や病気といった概念を理解する上で、医学だけでなく哲学や社会学にも大きな示唆を与えました。
また、カンギレムの科学史研究は、特定の概念や理論がどのように生まれ、進化し、あるいは衰退していったのかを、その時代の知的・社会的背景とともに追跡する「系譜学的」な手法を特徴としています。この手法は、後にミシェル・フーコー（Michel Foucault）やポール・ラビノー（Paul Rabinow）といった思想家たちによって引き継がれ、彼らの研究においても重要な役割を果たしました。
主要著作
彼の代表的な著作には、病理学の哲学に関する初期の考察をまとめた『正常と病理』（Le normal et le pathologique, 初版1943年、増補改訂版1966年）、生命の概念について論じた『生命の認識』（La connaissance de la vie, 1952年）、反射概念の歴史を扱った『反射概念の形成』（La formation du concept de réflexe aux XVII et XVIII siècles, 1955年）、科学史・科学哲学に関する論考集『科学史・科学哲学研究』（Etudes d’histoire et de philosophie des sciences, 1968年）、そして生命科学におけるイデオロギーと合理性の問題を扱った『生命科学の歴史』（Idéologie et rationalité dans l’histoire des sciences de la vie, 1977年）などがあります。これらの著作の多くは日本語にも翻訳されており、日本でも彼の思想に対する関心は高いです。
ジョルジュ・カンギレムは、単なる知識の集積としての科学史ではなく、概念がどのように生まれ、機能し、変容するのかを哲学的に問い続けた科学哲学者でした。彼の、生命を単なる物理化学的現象として捉えることを拒否し、その特異性や規範創造能力を強調する思想は、現代の生命倫理や科学技術論においても、なお重要な視点を提供し続けています。
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