スラヴ祖語

スラヴ祖語：印欧語族の分岐点

スラヴ祖語 (Proto-Slavic) は、現代のスラヴ語派諸言語の共通祖先にあたる言語です。文献資料が残されていないため、その全貌は現代のスラヴ諸言語の比較研究を通して再構成されています。本稿では、スラヴ祖語の起源、分化、音韻体系、そしてその研究に貢献した文献などを解説します。

起源と拡散

スラヴ祖語の起源については、大きく分けて二つの説があります。一つは、印欧祖語から直接スラヴ祖語が分岐したとする説、もう一つは、バルト・スラヴ祖語という中間段階を経てスラヴ祖語が成立したとする説です。後者の説では、紀元前10世紀頃にスラヴ祖語が成立したと推測されています。

スラヴ祖語話者の初期居住地についても諸説ありますが、ウクライナ西部からベラルーシ南部にかけての地域が有力な候補として挙げられています。この地域は、古代のトシュチニェツ文化やチェルノレス文化の遺跡が発見されている場所でもあります。

分化と発展

紀元後1世紀頃までは、スラヴ祖語は比較的統一された言語であったと考えられています。しかし、紀元後7世紀頃からスラヴ人の大規模な移動が始まり、言語の分化が加速していきました。9～11世紀には、地域差のある様々な方言が出現し、その様子は当時の文献からも垣間見ることができます。

9世紀後半には、キュリロスとメトディオス兄弟によって、グラゴル[[文字]]と古代教会スラヴ語が創られました。古代教会スラヴ語は、当時のギリシア語（テッサロニキ北部の方言）の影響を受けつつも、スラヴ祖語から2世紀以上経過した時点で成立した言語であり、スラヴ祖語とは異なる点も数多く存在します。ただし、音韻面においては、古代教会スラヴ語がスラヴ祖語の研究に貴重な資料として用いられることも多いです。

音韻体系

母音

スラヴ祖語には、i, ь, e, ę, ě, a, o, ǫ, ъ, y, uの11個の母音が存在したと推定されています。中でも、ь(イェル)とъ(イェル)は、短い[ɪ]や[ɯ]のような音であったとされ、ęとǫは鼻音化されたeとoです。ě(ヤト)は、長い[æː]のような音であったと考えられています。

成節子音（母音のように音節を形成するr, l）については、後世の方言的特徴とする見方が一般的です。多くの研究者は、イェルを伴う流音(ъl, ьl, ъr, ьr)を成節子音の代わりに仮定しています。

子音

スラヴ祖語の子音体系は、p, b, t, d, k, g, s, z, x, m, n, l, r, v, jなど、印欧祖語の子音体系を継承しつつ、独自の進化を遂げています。ここで注意すべきは、表記される文字と実際の音価が必ずしも一致しない点です。例えば、vは[v]ではなく[w]であった可能性が高いとされています。

母音・子音の起源と変化

スラヴ祖語の母音と子音は、それぞれ印欧祖語の母音と子音に由来します。しかし、印欧祖語からスラヴ祖語へと変化する過程において、様々な音韻変化が起こりました。

例えば、母音の変化としては、ā＞ū（後にy）の変化や、jo, jъ, jyがje, jь, jiになる変化などが知られています。また、子音の変化としては、口蓋化現象が挙げられます。口蓋化は、母音や他の子音の影響によって、子音の発音が変化する現象です。スラヴ祖語では、第一次、第二次、第三次の口蓋化が起こりました。これらの口蓋化は、スラヴ語派諸言語における子音体系の多様性を生み出す要因の一つとなっています。

研究史と参考文献

スラヴ祖語の研究は、多くの言語学者によって進められてきました。本稿で紹介した内容以外にも、多くの詳細な研究成果が蓄積されています。関連する研究書としては、以下のものが挙げられます。

Kiparsky, Valentin, Russische Historische Grammatik, 3 vols., 1963, 1967, 1975.
Moszyński, Leszek. Wstęp do filologii słowiańskiej. PWN. Warszawa, 1984.
Paliga, Sorin. Phd linguistics. Lexicon Etymologum Elementorum Thraecorum.
Schenker, Alexander M. The Dawn of Slavic. Yale Language Series, 1995.
Snoj, Marko. Slovenski etimološki slovar. Ljubljana: Modrijan, 2003.
Vasmer, Max. Russisches etymologisches Wörterbuch. Heidelberg, 1950-1958.
* 服部文昭『古代スラヴ語の世界史』白水社、2020年。

これらの文献は、スラヴ祖語の研究をさらに深めるための貴重な資料となるでしょう。

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