ゼウクシスとしての自画像

レンブラント晩年の異色作「ゼウクシスとしての自画像」

レンブラント・ファン・レインが1668年頃制作した「ゼウクシスとしての自画像」は、40点を超える彼の自画像の中でも特に異彩を放つ作品です。油彩で描かれたこの作品は、老いたレンブラントが鑑賞者に向かって笑いかけている姿を描写しています。その表情は、年老いた肌の皺やたるみなど、容赦ない写実性で表現されており、不気味さすら感じさせます。

画面の中のレンブラントは、絵筆を支える腕木を持ち、やや前かがみの姿勢で立っています。眉を上げ、口を開けたその笑みは、日本の美術史家・尾崎彰宏氏によって「鬼相の輝き」と評され、鑑賞者に不安と内省的な気分を誘います。彼は白い帽子をかぶり、ゆったりとした上着を羽織り、首にはメダイヨンを下げています。半身像で描かれており、斜め上から差し込む光によって頭部と左肩が明るく照らされていますが、左肩から背中にかけては画面右端で断ち切られています。画面下には腕木、そして画面左端には人物らしき像が描かれていますが、彫像なのか、人物なのかは不明で、不機嫌そうな表情をしているように見えます。

X線撮影による科学的調査によって、この作品が制作過程で大幅に変更されていることが明らかになりました。当初は、レンブラントの表情はそれほど笑っておらず、左手に腕木、右手に絵筆を持っていました。また、画面左端の人物像の頭部は後から付け加えられたものです。制作年については、作品に日付が記されていないため、1663年から1669年頃の間で諸説あります。

様々な解釈

この作品におけるレンブラントの笑みは、様々な解釈を生んできました。

19世紀の美術史家たちは、晩年のレンブラントの楽観的な精神の表れだと考えました。様々な不幸に見舞われながらも、芸術活動に喜びを見出していたという解釈です。

20世紀に入ると、単純な写実的描写ではなく、笑う仮面を被った自分自身を描いたものとする説や、自画像ではなく「笑う男」を描いたものとする説が現れました。

オランダの美術史家フレデリク・シュミット＝デーフネルは、レンブラントが古代ギリシアの哲学者デモクリトスをモデルに描いていると主張しました。「笑う哲学者」として知られるデモクリトスを、レンブラントが自らの姿に重ね合わせたという説です。この説では、画面左端の人物像はヘラクレイトス（「泣く哲学者」）と解釈されます。しかし、X線撮影の結果、ヘラクレイトスとされた人物像の頭部は後から描き加えられたものであることが判明し、この説は反論を受けることになりました。

ポーランド出身の美術史家ヤン・ビアロストッキは、画面左端の人物像を古代ローマの境界神テルミヌスの像と見なし、「何者にも降伏しない」テルミヌス神と、不幸の運命に屈しないレンブラントを重ね合わせたという解釈を提示しました。

アルベルト・ブランカルトは、初期の記録に「老女を描くレンブラント」という記述に着目し、古代ギリシアの画家ゼウクシスの逸話に基づいていると主張しました。ゼウクシスは老女を描いている最中に笑いすぎて窒息死したという伝説があり、この伝説が17世紀のオランダの画家たちの間で広く知られていたと考えられています。レンブラントの弟子であるアールト・デ・ヘルデルも、ゼウクシスを題材にした自画像を描いています。このブランカルトの説は、現在ではおおむね支持されています。

作品の来歴

初期の来歴は不明ですが、18世紀半ばにはイギリスの外交官が所有し、その後、競売を経て様々な収集家の手に渡り、1936年にケルンのヴァルラフ・リヒャルツ美術館が所蔵するようになりました。

レンブラントの晩年の精神状態や、創作意図について様々な憶測が飛び交う「ゼウクシスとしての自画像」。その謎めいた笑みは、今もなお鑑賞者を魅了し続けています。

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