ダラー・ベイビー

ダラー・ベイビー（Dollar Baby / Dollar Deal）

ダラー・ベイビーとは、著名な作家スティーブン・キングが、自身の短編小説の映像化を目指す学生や新人監督に対し、映画化権をわずか1ドルという象徴的な価格で譲渡する特別な取り決めのこと、そしてその取り決めに基づいて製作された作品そのものを指す言葉です。この制度は、映画製作者本人を指す場合もあり、例えば「彼はダラー・ベイビーとしてその作品を作った」といった使い方がされます。

制度の成り立ち

このユニークな制度が生まれたのは、キングが作家として大きな成功を収め始めた1970年代後半です。彼は、自身が映画から得た喜びを、未来の映像クリエイターたちに還元したいという思いから、このダラー・ディール（Dollar Deal）とも呼ばれる取り組みを始めました。キング自身が、フランク・ダラボン監督の『ショーシャンクの空に』の撮影台本の序文でその意図を語っています。

初期のダラー・ベイビー作品としては、まだ20歳だったフランク・ダラボンが手掛けた『312号室の女』などがあります。この作品は、ジェフ・シーロ監督の『ブギーマン』、ジョン・ウッドワード監督の『Disciples of the Crow』と共に、1986年に「スティーブン・キングのナイト・シフト・コレクション」の一部としてホームビデオでリリースされ、商業的に流通した珍しい例となりました。後にダラボンは、『ショーシャンクの空に』や『グリーンマイル』といったキング原作の著名な長編映画を監督し、成功を収めています。作家のスティーブン・J・スピネシは、彼が執筆した『スティーブン・キング・エンサイクロペディア』の中で、初期の学生によるダラー・ベイビー作品に言及し、この制度の存在を広く知らしめる一助となりました。

歴史的変遷と現状

1977年から1996年頃にかけて、ダラー・ベイビー作品は主に映画祭や学校の上映会でのみ公開され、一般に流通することは稀でした。インターネットの登場以前は、熱心なキングのファンでさえ、これらの作品の多くを知ることは困難でした。キング自身が初めてダラー・ディールとその方針について公式に言及したのは1996年で、その時点で16〜17作品が存在すると述べています。

2000年以降、ダラー・ベイビーは再び注目を集めるようになります。ジェイ・ホルベン監督による『Paranoid: A Chant』は、インターネット上で期間限定ながら公開された最初のダラー・ベイビーとなり、またイギリスの雑誌の付録としてDVD化され市販された初めての例となりました。2004年には、ジェームズ・レナー監督がダラー・ベイビー作品を集めた初の公開映画祭を、キングの母校であるメイン大学で開催しています。インターネット上では、ベルント・ローテンスラガー氏によって多くのダラー・ベイビー作品が収集され、一時期は公開されていましたが、現在ではキング側からの要請によりダウンロードは停止されています。

ダラー・ベイビーとして製作された作品は短編映画がほとんどですが、2009年にはJ・P・スコット監督によってキングの短編小説『Everything's Eventual』が長編映画化され、商業配給権を獲得するという異例の成功例も生まれました。また、イギリスやドイツなど国際的にもダラー・ベイビー作品は製作されており、中には多くの国際映画賞を受賞するものも登場しています。

権利と制約

ダラー・ベイビー契約の核心は、映画化権を1ドルで提供する点にありますが、これは非商業的な目的での使用に限られます。映画製作者は、原作に関する付帯的な権利や商業的な配給権を取得するわけではありません。原作に関するすべての権利は、スティーブン・キングに留保されます。したがって、ダラー・ベイビー作品は原則として商業的に公開・販売することはできず、製作者が作品から利益を得ることは想定されていません。

過去に『312号室の女』などが商業リリースされた例はありますが、これは当初のダラー・ベイビー契約とは別に、配給会社がキング側と商業利用に関する権利について別途交渉し、1ドルをはるかに超える金額を支払って許可を得たものです。また、キングが他の出版社や映画会社に既に原作の映画化権を売却している場合、その作品はダラー・ベイビーの対象とはなりません。権利は購入者が保有するため、キングには許可を与える法的権限がないためです。

この非商業利用の原則があるため、製作されたダラー・ベイビー作品をYouTubeやVimeoといった動画共有サイトにアップロードして公開することも認められていません。

占有を示すタイトルについて

ダラー・ベイビーの製作者の中には、キングが映画化を許可したことで、作品タイトルに「スティーブン・キングの」という占有クレジット（例：「スティーブン・キングの『死霊の牙』」）を自動的に使用できると誤解するケースがあります。しかし、これは誤りです。キングは、彼自身が直接的かつ多大な関与をしたプロジェクトにのみ、このような占有クレジットの使用を許可しています。過去には、映画版『バーチャル・ウォーズ』（原作『芝刈り機の男』）が、原作から大きくかけ離れているにも関わらず占有クレジットを使用したため、キングが訴訟を起こし、裁判所の判断によりタイトルから名前が削除されるという事例もありました。ダラー・ベイビー作品において、キング自身が自分の名前を占有クレジットとして使用することは許可していません。

作品の質について

スティーブン・キング自身も指摘しているように、ダラー・ベイビー作品の多くは、製作者が経験の浅い学生や新人であるため、その品質は様々です。「多くの場合は1回だけ観れば十分」と述べつつも、中には「才能の片鱗を見せたもの」や「非常に素晴らしいもの」も存在することを認めています。全体的に見れば平均以下の品質の作品が多いものの、フランク・ダラボン監督の『312号室の女』はアカデミー賞の選考対象リストに載るなど、キング自身が「私の作品から作られた短編映画の中で、明らかに最高の作品だ」と評するほどの例外も存在します。また、ジェイ・ホルベン監督の『Paranoid』も、ローリングストーン誌に絶賛されるなど、批評的に高い評価を得た作品として知られています。

ダラー・ベイビー制度は、商業的な成功よりも、次世代の映像作家たちがキングの世界観を通して実践的な経験を積み、その才能を磨く機会を提供することに重きを置いた、類稀なる取り組みと言えるでしょう。

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