チンギズ・ナーマ

チンギズ・ナーマ

『チンギズ・ナーマ』は、16世紀半ばにヒヴァ・ハン国のウテミシュ・ハージーによって編纂された、ジョチ・ウルスの歴史を扱った史書です。ジョチ家内部で編纂された数少ない史料として、ジョチ・ウルスの歴史観を知る上で非常に重要な位置を占めています。

概要

著者のウテミシュ・ハージーは、シバン家（ジョチ・ウルスの分家）に仕える家系の出身であり、イルバルス1世に仕えていました。彼はチンギス家の歴史に強い関心を持ち、既存の史書の記述が断片的であることに不満を感じていました。そこで、歴史に詳しい人々の下を訪ね歩き、チンギス家の歴史に関する知識を深めました。

その後、イシュ・スルターン（ブジュガの子）から、ジョチ・ハンの子孫たちの歴史、誰がハンになったか、どのような戦いや出来事があったかを明らかにするように依頼され、『チンギズ・ナーマ』を書き上げました。このことから、本書の執筆年代は1550年代頃と推定されています。

写本

現在確認されている写本は、以下の2種類です。

タシュケント写本: ワシーリィ・バルトリドが発見したもので、ウズベキスタンのタシュケント東洋学研究所に所蔵されています。全24葉からなり、トクタミシュ伝の途中で途切れており、一部損傷や誤記、訂正も多く見られます。
リザエッディン写本: ヴォルガ・ウラル地方のリザエッディン・ビン・ファフレッディンからゼキ・ヴェリディ・トガンが入手したものです。トガンはタシュケント写本よりも完全であると評価していましたが、出版には至らず、長らく所在不明でした。近年、トガンの弟子によってローマ字転写と研究が発表され、タシュケント写本との比較検討が可能になりました。リザエッディン写本は全76頁からなり、序文の2葉のみ欠落しているとされています。

両写本を比較すると、内容に異同が認められます。特に、リザエッディン写本にはタシュケント写本にはないチンギス・ハン史の記述が見られます。また、情報源も異なっており、異なる写本系統に属していた可能性が指摘されています。

書名について

『チンギズ・ナーマ』という書名はタシュケント写本につけられたもので、本文中にはこの書名に関する記述はありません。一方、本文中ではしばしば『ドゥースト・スルターン殿下の諸史書』という史書が情報源として挙げられており、トガンは本書を『ドスト・スルターン史』という書名で呼んでいました。リザエッディン写本の書名は『黒史』ですが、後世に付けられた可能性が指摘されています。

歴史的意義と評価

『チンギズ・ナーマ』は、ジョチ系政権で編纂されたカーディル・アリーの『集史』や、アブデュルガッファールの『諸情報の要諦』にも影響を与えており、キプチャク草原独自の歴史叙述の体系を形成していたと考えられています。

川口琢司や長峰博之は、『チンギズ・ナーマ』をジョチ・ウルス史研究に積極的に利用することを提唱しています。しかし、赤坂恒明は、本書の記述を過度に高く評価することには慎重な意見を述べています。例えば、『チンギズ・ナーマ』が記述する「トク・ブガのハン位簒奪」について、赤坂は他の史料に基づいてこれを否定しています。ただし、川口・長峰らは、本書の伝える逸話はそのまま史実として扱うことはできないものの、「ウズベク即位に反対する有力者が存在した」ことや「カラ・キシが内紛で主導的役割を果たした」ことは史実を反映している可能性があると指摘しています。

このように、『チンギズ・ナーマ』はジョチ・ウルスの歴史を研究する上で重要な史料ですが、成立事情や史料批判を踏まえた上で、慎重に分析する必要があります。

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