ティコ (クレーター)

ティコ (Tycho)

ティコは、月面の南緯約43度に位置する、非常に顕著で大きなクレーターです。その直径は約85キロメートルに達し、月面上で最も目立つ地形の一つであるため、小型の双眼鏡でも容易にその姿を捉えることができます。名称は、16世紀の著名なデンマークの天文学者であるティコ・ブラーエに敬意を表して命名されました。

クレーターの周囲は、大小さまざまな形状のクレーターが密集しており、古い時代のクレーターの上に比較的新しいクレーターが重なり合って形成された領域も見られます。また、ティコの主衝突によって飛散した物質が周囲に落下してできた、小さな二次クレーターも多数点在しています。

ティコは、アポロ17号ミッションによって月面から持ち帰られたサンプル岩石の分析結果から、約1億800万年前に形成されたクレーターであると推定されており、これは月面の多くのクレーターと比較して非常に新しい年代に属します。そのため、その構造は風化やその後の衝突による変形が少なく、非常に鮮明な外観を保っています。

ティコの最も際立った特徴の一つは、その高いアルベド（反射率）です。特にクレーター内部は明るく輝き、太陽光が当たると、クレーターの中心から放射状に、最長1500キロメートルにも及ぶ明るい筋、すなわち光条を放出します。この光条は、ティコが新しいクレーターであるため、衝突によって露出した新鮮な物質が広範囲に飛散してできたものです。この特徴的な光条は、満月の時期など、地球からの反射光で月面を観測する際にも確認できるほどです。

クレーターの構造を見ると、内側の壁面は、複数段階の崩落によって形成されたと考えられる階段状の「段々畑」のような地形を呈しています。これらの壁面は、底面に向かって緩やかに傾斜しており、底面自体は荒々しいながらも比較的平坦な広がりを持っています。底部の詳細な探査画像からは、細かいひび割れや小さな隆起が多数存在することが確認されています。クレーターの中心部には、周囲の底面より約1.6キロメートルも高くそびえる中央丘が存在し、さらにその北東方向にはもう一つの小さな頂を伴う複雑な形態をしています。

ティコ中心から約100キロメートルほど離れた外縁部に見られる暗い環状の領域は、対照的にアルベドが低く、衝突によって堆積したと考えられる鉱物で構成されています。この領域は、太陽光が低い角度で当たっても影ができにくい特性があります。

また、月食時に行われた赤外線観測によって、ティコが周囲の地形よりも温度がゆっくりと低下する「ホットスポット」であることが明らかになりました。これは、クレーターを構成する物質が周辺部とは異なる熱特性を持っているためと考えられています。

ティコは、その科学的重要性から、複数回の月探査ミッションの対象となりました。1968年1月には、アメリカの無人探査機サーベイヤー7号が、クレーターの北側外縁部に無事着陸しました。このミッションによって、クレーター表面の化学組成が詳細に調査され、月の海の玄武岩質とは異なる、アルミニウムを豊富に含む斜長石主体の岩石が発見されました。さらに、ルナオービター5号ミッションは、ティコを含む月面広範囲の高解像度画像を撮影し、その立体的な構造の解明に貢献しました。

ティコはまた、地球上で発見される天然ガラスであるテクタイトの一部、特にオーストラリアから発見されるオーストララシアン・テクタイトの起源である可能性を示唆する研究も行われています。1950年代から1990年代にかけてNASAのディーン・チャップマンらが行った研究では、軌道計算や風洞実験を通じて、テクタイトがティコでの衝突によって生成され、地球に飛来したとする説が提唱されました。この説の最終的な検証には、ティコからの直接的なサンプルリターンミッションが必要とされています。

ティコは、1645年に出版された初期の精密な月面図にもその姿が描かれており、古くから月面上の特徴的な地形として認識されていました。なお、英語での発音は日本語の「ティコ」よりも「タイコ」に近いとされます。

ティコのすぐ近くに位置する小さな無名のクレーターは、ティコに従属するクレーターとして国際天文学連合によって位置づけられており、ティコにアルファベットを付記する形式で識別されています。

フィクションにおける言及

ティコは、その特徴的な存在感から、多くのSF作品の舞台や設定に用いられています。

アーサー・C・クラークの小説およびスタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』では、謎のモノリスが埋設されていた場所として重要な役割を担いました。
映画『スタートレックファーストコンタクト』では、24世紀の月面都市「ティコ・シティー」として登場します。
ロバート・A・ハインラインの小説『月は無慈悲な夜の女王』では、「タイコ・アンダー」（Tycho Under）と呼ばれる地下居住地の拠点となっています。
上記のハインライン作品を下敷きとしたリチャード・ストールマン（RMS）の短編『読む権利』にも関連する記述があります。
* エドモンド・ハミルトンのスペースオペラ小説『キャプテン・フューチャー』シリーズでは、主人公フューチャーメンの基地がティコに置かれ、北極の宇宙灯台を監視する役割を果たしています。

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