デーモドコス

デーモドコス

デーモドコス（古希: Δημόδοκος, ラテン文字転写: Dēmódokos）は、古代ギリシアの伝説、特にホメロスの叙事詩『オデュッセイア』にその名が記されている重要な人物です。彼は、スクリエー島に住む幸福な人々、パイアーケス人の社会において、最も優れた吟遊詩人（アオイドス）として尊敬されていました。

デーモドコスは視力を失っていましたが、その代償として、文芸と音楽を司る女神たち、すなわちムーサイから特別な恩寵を受け、天賦の歌唱の才能を授けられたと伝えられています。彼の歌は、神々や英雄たちの物語、あるいは歴史的な出来事を、あたかも目の前で起こっているかのように鮮やかに再現し、聴く者の心に深い感動や追憶、あるいは喜びといった様々な感情を呼び起こす力を持っていました。

『オデュッセイア』の物語の中で、デーモドコスは主人公オデュッセウスが長年の漂流の末にパイアーケス人の国にたどり着き、彼らの王アルキノオスの手厚いもてなしを受けた際に登場します。アルキノオス王は、身元を明かさないまま客人として迎えたオデュッセウスのために、盛大な宴会や競技会を催し、その席でデーモドコスに歌を披露させました。

デーモドコスが最初に歌ったのは、トロイア戦争初期にアカイア軍の中で起こった出来事、具体的には最大の英雄アキレウスと知略に長けたオデュッセウスの間で生じた激しい対立と口論の物語でした。この二人の傑出した指導者の不和は、ギリシア軍全体の進退に関わるほど深刻な問題でした。海難を経て心身ともに疲弊していたオデュッセウスでしたが、自らが体験した過去の出来事を歌う詩人の声を聞くと、胸中に去来する様々な思いから、人目を忍んで深く涙を流しました。

次にデーモドコスが歌ったのは、少し趣を変えて、神々の世界の出来事でした。彼は、美と愛の女神アプロディーテーが、夫である鍛冶の神ヘーパイストスが留守の間に、戦いの神アレースと密会していたという、有名な神話のエピソードを歌い上げました。ヘーパイストスはこの不倫を知り、巧妙な罠として、誰にも見えないほど細く頑丈な金属の網を作り、アプロディーテーの寝台に仕掛けました。何も知らないアレースとアプロディーテーが共に床に就いた時、この網が二人を絡め取り、身動きできなくしてしまいました。ヘーパイストスは他のオリュンポスの神々を呼び集め、不倫の現場を晒し、神々の間で大きな笑いを巻き起こしたというこの歌は、宴の座を和ませ、聴衆を大いに楽しませました。

そして、デーモドコスは三度目の歌として、オデュッセウス自身が主導し、トロイア戦争の決着をつけた最大の作戦、すなわち「トロイアの木馬」の物語を選びました。彼は、巨大な木馬の中に精鋭のアカイア兵が隠れてトロイア城内に運び込まれる計略、そして城門が開かれた夜に兵士たちが木馬から現れ、眠るトロイアを襲撃した壮絶な一夜を歌いました。特に、トロイアの王子デーイポボスの館でオデュッセウスが繰り広げた激しい戦闘の様子などが、臨場感たっぷりに語られました。

この最後の歌を聞いたオデュッセウスは、かつて自分が体験した英雄的な行為と、それに続く故郷への長い道のり、そして失われた仲間たちへの思いが入り混じり、感極まって再び涙を流しました。今度は、彼はもはやその涙を完全に隠すことはできませんでした。このオデュッセウスの深い悲しみと感動に気づいたアルキノオス王は、客人がただの旅人ではないと確信し、彼が何者であるかを直接尋ねました。この王の問いかけこそが、オデュッセウスが自らの素性と、苦難に満ちた帰国の旅のすべてを語り始める決定的なきっかけとなったのです。

このように、デーモドコスは単に宴席を盛り上げる楽人というだけでなく、その歌によって主人公の最も深い感情を引き出し、物語のクライマックスへと導く上で、極めて重要な役割を担っています。彼の歌は、叙事詩全体の構造において、過去の出来事を回想させ、主人公のアイデンティティを明らかにするための巧妙な仕掛けとして機能しています。

なお、『オデュッセイア』のデーモドコスの他にも、ローマの詩人ウェルギリウスの叙事詩『アイネイアース』には、主人公アイネイアースに仕える人物の中に、同じデーモドコスという名前の戦士が登場します。

もう一度検索