バルカン (仮説上の惑星)

バルカン

バルカン（英語：Vulcan）は、かつて存在すると想像された、太陽系の仮説上の惑星です。この天体は、既知の惑星である水星の軌道よりもさらに太陽に近い位置を回っていると考えられていました。

その存在が提唱された背景には、19世紀の天文学における重要な発見と未解決の問題がありました。当時、天文学者たちは、既存の惑星の軌道に生じるわずかなずれ（摂動）を詳細に分析することで、まだ見つかっていない新しい惑星の存在を予測することに成功していました。特に、天王星の軌道の観測から未知の惑星の存在が予測され、1846年には海王星が発見されるという輝かしい成果を上げたばかりでした。この成功を受け、天文学者たちは、同様の方法で他の天体現象も説明できるのではないかと考えました。

その一つが、水星の軌道に見られる特異な動き、近日点移動でした。水星の軌道は完全な円ではなく、楕円形をしています。その軌道上で太陽に最も近づく点（近日点）の位置が、時間と共に少しずつずれていくことが観測されていました。当時の精密な観測データに基づくと、この近日点の移動量のうち、既知の惑星の重力による摂動で説明できる分を差し引いても、わずかながら説明がつかない「異常」なずれが残ることが分かっていました。

海王星の発見を予言したフランスの著名な天文学者、ユルバン・ルヴェリエは、1859年にこの水星の近日点移動の謎を解くために、水星よりもさらに太陽に近い軌道を回る未知の惑星が存在する、という説を提唱しました。この仮説上の惑星こそが「バルカン」と名付けられたのです。ルヴェリエは、このバルカンの重力が水星に影響を与えることで、観測されている近日点移動の異常部分を説明できると考えました。

ルヴェリエの提唱後、多くの天文学者がバルカンを探しました。特に、太陽面を通過するバルカンの姿を捉えようと、太陽観測が試みられました。提唱された年のうちに、フランスのアマチュア天文学者エドモン・モデスト・レスカルボーがバルカンらしき天体を発見したと報告し、一時的に大きな注目を浴びましたが、この観測は他の天文学者によって確認されることはなく、信頼性に欠けるものと見なされました。その後も望遠鏡の性能向上と共に探索は続けられましたが、バルカンの存在を示す確固たる証拠は得られませんでした。

20世紀に入ると、水星の近日点移動問題に新たな解決策が提示されます。アルベルト・アインシュタインが1915年に発表した一般相対性理論です。この新しい重力理論によれば、質量によって時空が歪み、その歪みに沿って物体が運動します。アインシュタインの理論を用いて水星の軌道を計算したところ、それまで説明できなかった近日点移動の異常部分が、この時空の歪みとして自然に説明できることが明らかになりました。その後の日食観測などを通じて一般相対性理論の正しさが検証され、物理学におけるその地位が確立されるにつれて、水星の近日点移動はバルカンによるものではなく、一般相対性理論によって解決される問題であるという見方が定着し、バルカンの存在を仮定する必要性は失われました。

バルカンが単一の惑星として見つからなかった後も、水星の内側軌道には、バルカンという大きな天体ではなく、多数の小さな天体が集まった環状構造や群れ（いわゆる「バルカン族」や「バルカン・リング」）が存在し、その集合的な重力が近日点移動に影響を与えているのではないか、という可能性も検討されました。しかし、こうした微小天体の集まりも、現代に至るまで観測によって確認されていません。なお、2006年に国際天文学連合によって惑星の明確な定義が定められたため、仮に将来、水星の内側軌道で微小天体の集まりが発見されたとしても、それはもはや「惑星」としては分類されません。

バルカンという名称は、この仮説上の惑星が水星よりもさらに太陽に近い、極めて高温であると想像されたことから、ローマ神話における火と鍛冶の神である「ウルカヌス」（ラテン語: Vulcanus、英語: Vulcan）にちなんで名付けられました。日本語表記の「バルカン」は、この英語名に由来します。占星術においては、「高炉星（こうろせい）」と訳されることもあります。

このように、バルカンは科学史において、ニュートン力学の限界と一般相対性理論の登場を象徴する、重要な仮説上の天体として記憶されています。現代科学では、その存在は否定されています。

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