パス法

パス法

パス法（Pass laws）は、南アフリカ共和国の前身である南アフリカ連邦において、かつて施行されていた法律です。この法律は、特にアフリカ系黒人の南アフリカ国民に対する移動の自由を極度に制限するために、アパルトヘイト（人種隔離）体制を維持していた政府によって導入されました。1952年に制定され、アパルトヘイト政策の中でも最も象徴的かつ抑圧的な法律の一つとして機能しました。

この法律の中心的な内容は、南アフリカ国内に居住する16歳以上のすべての黒人に対し、特定の身分証明書、通称「パスブック（Pass book）」あるいは「リファレンスブック（Reference book）」と呼ばれるものを常に携帯することを義務付けるというものでした。黒人は、外出する際にこのパスブックを所持していなければ、それだけで法律違反となり、逮捕の対象とされました。

パスブックには、単なる個人識別情報以上の詳細が記載されていました。所持者の氏名、顔写真、指紋といった基本的な情報に加え、誰に雇用されているかを示す雇用主の氏名や連絡先が必須項目として含まれていました。ここで重要なのは、雇用主は南アフリカ国民である必要がありましたが、実際には白人に限定されているケースがほとんどだった点です。これにより、黒人の労働は白人社会の厳格な管理下に置かれ、彼らが自由に職を選んだり、都市部に流入したりすることを抑制する仕組みとなっていました。

さらに、パスブックには居住地や特定の地域への立ち入り許可に関する情報も含まれていることがあり、当局はパスブックの内容を通じて黒人の活動範囲を管理しました。パスブックの発行や内容の更新は政府当局によって厳格に管理されており、失業したり転職したりする際には、当局の許可が必要となる場合もありました。許可なく都市部に滞在している、あるいはパスブックを紛失したり破損させたりした場合も、パス法違反として取り締まりの対象となりました。

パス法は、日常生活において黒人に対して絶え間ない監視と逮捕の恐怖をもたらしました。警察や当局は街頭や公共交通機関などで頻繁に検問を実施し、パスブックの提示を求めました。不携帯やパスブックの内容に不備がある、あるいは当局が不適切と判断した場合、即座に逮捕され、多額の罰金や短期の収監といった刑罰が科されました。パス法違反は、アパルトヘイト体制下で黒人が刑務所に入れられる最も一般的な理由の一つであり、これにより数多くの家族が引き裂かれ、黒人社会に深い傷を残しました。

この過酷な法律に対する黒人社会の抵抗は強く、パス法の撤廃はアパルトヘイト反対運動における主要な要求の一つでした。1960年に発生したシャープビル虐殺事件は、このパス法に抗議する非武装のデモ隊に対して警察が無差別に発砲し、多数の死傷者を出した悲劇であり、パス法がいかに抑圧的であったかを国際社会に知らしめる出来事となりました。

国内外からの非難と抵抗運動の高まりを受け、南アフリカ政府はアパルトヘイト関連法の一部見直しを迫られました。その中で、パス法は1986年に廃止されました。これは、アパルトヘイト体制そのものが終焉を迎えるのに先立って行われた主要な法的改革の一つであり、黒人の基本的な人権回復に向けた重要な一歩として位置づけられています。

パス法は、南アフリカにおける人種隔離政策が、いかに人々の生活や尊厳を根幹から否定し、移動の自由という基本的な人権を組織的に奪っていたかを示す歴史的な証拠であり、その記憶は現代社会における人種差別の不当性を考える上で非常に重要です。

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