ビスナウイルス

ビスナウイルス（Visna virus）

概要

ビスナウイルス（Visna virus）は、レトロウイルス科に属する一群のウイルスであり、中でもレンチウイルス属に分類されます。本ウイルスは主にヒツジを宿主とし、進行性の神経疾患である脳炎や、慢性的な呼吸器疾患である肺炎を引き起こす病原体として世界的に知られています。ウイルス感染によって引き起こされる一連の疾患は、「マエディ・ビスナウイルス病（Maedi-Visna virus disease）」と総称されることもあります。病変が主に脳や脊髄などの神経系に現れる場合を「ビスナ（Visna）」、肺に病変が認められる場合を「マエディ（Maedi）」と区別して呼称することがあります。これらの病態は、ウイルスが体内で持続的に感染し、ゆっくりと進行することが特徴です。

分類とウイルスの特徴

ビスナウイルスは、RNAウイルスであるレトロウイルスの一種です。レトロウイルスは、自身のRNAゲノムを鋳型として、逆転写酵素（reverse transcriptase）を用いてDNAを合成するというユニークな複製サイクルを持ちます。合成されたDNAは、宿主細胞のゲノムに組み込まれ、プロウイルスとして存在し続けます。これにより、ウイルスは宿主細胞から排除されることなく、生涯にわたる持続感染を確立することが可能となります。レンチウイルス属のウイルスは、比較的潜伏期間が長く、慢性的に進行する疾患を引き起こす傾向があります。ヒトのエイズウイルス（HIV）も同じレンチウイルス属に分類されており、ビスナウイルスはレンチウイルスの研究において歴史的に重要なモデルウイルスとして位置づけられてきました。

引き起こす疾患（マエディ・ビスナウイルス病）

マエディ・ビスナウイルス病は、主に成ヒツジに発生する慢性進行性の消耗性疾患です。子ヒツジが感染することもありますが、通常、症状が現れるのは数年後であることが多いです。疾患の臨床症状は、主にウイルスの標的となる臓器によって異なり、「ビスナ」と「マエディ」という異なる病型に分類されます。

ビスナ（神経型）

ビスナは、脳や脊髄などの広範な中枢神経系における慢性的な炎症性脱髄病変を特徴とします。症状は通常、後肢の不全麻痺や運動失調から始まり、徐々に進行して起立不能や全肢の麻痺に至ります。他にも、頭部の傾斜、振戦、旋回運動、視覚障害など、多様な神経症状が観察されることがあります。病状が進行すると、最終的に起立・歩行が困難となり、採食もできなくなって衰弱死に至ります。

マエディ（呼吸器型）

マエディは、肺における慢性間質性肺炎を特徴とします。病気の初期には明確な症状を示さないことが多いですが、進行するにつれて呼吸困難、咳、喀痰などの呼吸器症状が現れます。肺の組織は慢性の炎症と線維化により硬く、重くなります（「マエディ」はアイスランド語で「呼吸困難」を意味するとされています）。運動すると症状が悪化し、重症例では安静時にも顕著な呼吸困難が見られます。食欲不振や体重減少も伴い、最終的には呼吸不全や全身の消耗により死亡します。

多くの場合、どちらか一方の病型が顕著に現れますが、中には両方の症状を呈するヒツジもいます。また、関節炎や乳腺炎などを合併することもあります。

感染経路と伝播

ビスナウイルスは、感染したヒツジの体液を介して伝播すると考えられています。主な感染経路としては、感染した母ヒツジから子ヒツジへの乳汁を介した垂直感染が重要視されています。また、濃厚な接触による呼吸器分泌物や糞尿を介した水平感染も起こり得ると考えられています。一度感染が成立すると、ウイルスは宿主の免疫応答を逃れて体内に潜伏し、持続的な感染状態を維持します。

診断と対策

マエディ・ビスナウイルス病の診断は、臨床症状、病理組織学的検査、およびウイルス学的・血清学的検査（抗体検査、PCR法によるウイルス遺伝子検出など）を組み合わせて行われます。本病に対する有効な治療法やワクチンは、現在のところ実用化されていません。そのため、本病の対策は、感染の診断と陽性個体の早期発見、そして群からの隔離や淘汰による清浄化が中心となります。新しい動物の導入時には検査を行うことや、密飼いを避けるなどの飼養衛生管理も感染拡大の防止に役立ちます。

マエディ・ビスナウイルス病は、ヒツジの生産性低下や死亡により、畜産上重要な経済的損失をもたらす疾患です。清浄な群を維持するためには、継続的なモニタリングと対策が不可欠となります。

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