ピアノソナタ第10番 (スクリャービン)

ピアノソナタ第10番 作品70

アレクサンドル・スクリャービンによって1913年に作曲が完成された、彼の後期を代表する単一楽章のピアノソナタです。作品番号や出版順においては彼の最後のソナタと位置付けられていますが、興味深いことに、作曲者自身が実際に最後に完成させたのは第8番であったという、番号とは異なる経緯を持つ作品です。

音楽的特徴

このソナタは、スクリャービンの晩年に見られる無調性に深く根ざしており、旋律や和声は極めて半音階的な動きに満ちています。彼の独自の和声語法、いわゆる「神秘和音」を基盤としながらも、後期の他の作品群と比較すると、耳馴染みが良く、極端な不協和感は比較的抑えられていると言えるかもしれません。その音楽は、内的な瞑想と輝かしい高揚感を交互に描き出します。

「トリルソナタ」の由来

作品全体にわたって、高音域を中心にトレモロやトリルが極めて頻繁に現れることが大きな特徴であり、この顕著な技法から「トリルソナタ」という通称で広く知られています。作曲者自身による解説によれば、これらのきらめくような高速な反復音型は、「太陽の光を浴びて飛び交う昆虫たち」のイメージを象徴しているとされます。これは、彼の晩年の神秘主義的な哲学や、自然現象と音楽を結びつける思想が色濃く反映された表現と言えるでしょう。

形式と構造

単一楽章でありながらも、その内部構造は古典的なソナタ形式の枠組みを比較的明確に踏襲しています。

曲は、増三和音と減三和音が交互に現れる、瞑想的かつどこか憂鬱な響きを持つ序奏で静かに始まります。この序奏主題が示唆する半音階的な動きはやがて第1主題へと繋がり、不安げに漂うような旋律が展開されます。第1主題と序奏主題の動機は密接に関連しながら、対話するように繰り返されます。そして、突然光が差し込むかのように、前述した輝かしいトリル音型が登場し、音楽に躍動感と色彩を与えます。このトリル音型は単なる装飾にとどまらず、後の展開における重要な要素となります。その後、比較的明確な旋律線を持つ下降半音階の動きが特徴的な第3主題（あるいは副主題）が現れ、提示部を締めくくります。

展開部では、提示されたこれら複数の主題要素が自在に加工され、結合されながら、音楽的な緊張が高められていきます。特に序奏主題や第1主題の動機は積極的に展開され、作品全体に統一感を与えています。この展開部において最も注目されるべき点は、拍節感が非常に流動的で捉えどころのない性質を帯びていることです。楽譜上では拍子記号が頻繁に変化したり、休止やアゴーギク（速度変化）の指示が多く用いられたりすることで、厳格な拍の流れから解放されたかのような感覚が生み出されます。このリズム的な複雑さと革新性について、日本の著名な音楽学者・評論家である柴田南雄は、その著書の中で、イゴール・ストラヴィンスキーが同時期に作曲した革新的なバレエ音楽《春の祭典》に比肩しうるほどのものであると高く評価し、スクリャービンの後期作品におけるリズム表現の先進性、そして20世紀音楽におけるその位置付けを示唆しました。

結び

ピアノソナタ第10番は、スクリャービンの後期様式を集約した作品として、その独特な音響世界、濃密な表現、そして形式的な工夫が一体となった、彼の創作活動における重要な到達点の一つと言えるでしょう。単一楽章の中に込められた、輝きと瞑想、そして宇宙的な広がりを感じさせるこの作品は、スクリャービンのピアノソナタの中でも特に独自の光を放っています。

もう一度検索