フォスフォレッスセンス

短編小説『フォスフォレッスセンス』：創作秘話と作品世界

太宰治の代表作として知られる作品群の中にあって、『フォスフォレッスセンス』は、その特異な誕生秘話から、多くの関心を集めてきました。1947年、昭和22年の夏、編集者である野原一夫氏と太宰治氏は、当時太宰が同居していた山崎富栄氏の部屋でビールを酌み交わしていました。その場に、雑誌『日本小説』の若い編集者からの訪問がありました。締め切り間近にも関わらず、太宰は原稿を一行も書いていませんでした。しかし、彼は慌てる様子を見せず、編集者に対して「口述で書いてみよう」と提案します。

編集者の驚くべき提案に、太宰は普段とは異なる雰囲気で口述を始めました。約20分という短時間で語られた内容は、後年『フォスフォレッスセンス』として世に出ることになります。口述を終えた太宰は、書き起こされた原稿に2、3か所の修正を加えただけで、編集者に手渡したと言われています。このエピソードは、太宰治の並外れた創作能力と、その場のインスピレーションを重視する作風を如実に示しています。

山崎富栄の手記には、1947年6月3日に「日本小説の方達と、私の二階でお話なさる」という記述があり、口述が行われた時期に関する有力な裏付けとなっています。さらに、太宰治自身の自筆原稿も残されており、後に彼が改めて書き直した可能性も示唆されています。書き直しが行われた時期については不明な点が多く残されていますが、これらの情報は作品成立の経緯をより深く理解する上で貴重な資料となっています。

作品タイトルである『フォスフォレッスセンス（Phosphorescence）』は英語で「燐光」を意味します。この言葉は、闇夜に微かに光る燐光のように、作品全体に漂う幻想的で仄暗い雰囲気を巧みに表現しています。文筆家・翻訳家の松本侑子氏は自著の中で、「フォスフォレッスセンス」という花は実在しないだろうと指摘しています。この点からも、タイトルに込められた太宰治の独特の感性と、彼が創作活動においていかに言葉の持つ力、響きを重視していたかが分かります。

『フォスフォレッスセンス』は、その誕生秘話だけでなく、作品世界そのものにも大きな魅力があります。口述筆記によって生まれた作品という特異性に加え、短い時間の中で紡ぎ出された物語は、太宰治の繊細な心理描写と、鋭い洞察力、そして独特のユーモアを凝縮しています。作品に込められた、太宰治の複雑な心情や、当時の社会情勢への鋭い視点は、現代においても多くの読者を惹きつけ、深い共感を呼び起こすでしょう。

わずか20分の口述から生まれた『フォスフォレッスセンス』。その誕生秘話と、作品世界に秘められた太宰治の心情、そして言葉の持つ力について、じっくりと考察することで、この短編小説の奥深さをより深く理解することができるはずです。この作品は、太宰治という作家の才能と、その複雑な内面を垣間見れる貴重な作品となっています。彼の作品群の中でも、特異な存在感を放つ『フォスフォレッスセンス』は、これからも多くの読者によって読み継がれていくことでしょう。

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