フランソワ・ラヴァイヤック

フランソワ・ラヴァイヤック：信仰と狂気の間で――アンリ4世暗殺事件

1610年5月14日、フランス王アンリ4世はパリの街中で暗殺された。凶刃を振るったのは、フランソワ・ラヴァイヤック。この名は、フランスの歴史に暗い影を落とす存在として、今も記憶されている。ラヴァイヤックは単なる暗殺者ではなかった。彼の人生は、貧困、狂信的信仰、そして絶望的な孤独が複雑に絡み合った、悲劇的な物語だった。

ラヴァイヤックは1578年、フランスのアングレーム近郊で生まれた。貧しい家庭の六人兄弟の長子として、父親に見捨てられ、幼少期から困窮の生活を強いられた。しかし、彼は深く敬虔なカトリック教徒であり、幼い頃から修道士になることを夢見ていた。その強い信仰心は彼を突き動かす原動力となり、やがて運命の歯車を狂わせる要因にもなった。

彼はある修道会に入会を試みるも、激しい幻覚症状に苦しみ、短期間で除名されてしまう。その後、イエズス会への入会も断られ、大きな失望を味わった。アングレーム市の裁判所書記として働き、老いた母親を支える生活を送っていたが、父親と兄弟の窃盗事件が原因で職を失い、その後は駐車係や、子どもたちへの読み書きやキリスト教教義の教育によって生計を立てていた。貧困と挫折が、彼の心を蝕んでいったのは想像に難くない。

転機は1609年に訪れた。ラヴァイヤックは、フランス王アンリ4世に謁見しようとパリへと向かう決意をする。しかし、ルーヴル宮殿で3度も門前払いされたという記録が残されている。この出来事が、彼の心に潜む狂信的な信仰を更に増幅させたのかもしれない。そして彼は、「異端者を滅ぼせ」という神の声を聞くようになったと自称するようになる。

翌1610年、ラヴァイヤックは再びパリへ赴いた。そして運命の日は訪れた。5月14日、パリ市内を馬車で移動中のアンリ4世は、通行の妨げにより馬車が一時停止した隙をつかれラヴァイヤックに襲われた。ラヴァイヤックは、その瞬間に王を刺殺した。彼はその場で逮捕され、コンシェルジュリーに投獄された。

当局は、ラヴァイヤックの背後に黒幕がいるのではないかと疑い、激しい尋問と拷問を加えた。しかし、彼は組織的な陰謀を徹底的に否定した。パリ高等法院は、彼の単独犯行として死刑判決を下した。

1610年5月27日、ラヴァイヤックはコンシェルジュリーからノートルダム大聖堂へと護送され、そこで公開の場で罪状を認めた。そして、グレーヴ広場（現在のパリ市庁舎前広場）で、最も残虐な処刑方法の一つである「八つ裂きの刑」に処せられた。彼の遺体は、集まった大観衆によって切り刻まれ、その凄惨な様は想像を絶する。ラヴァイヤックの家族は、国外追放や改姓を強いられるなど、厳しい罰を受けた。

アンリ4世暗殺は、フランスに大きな衝撃を与えた。ラヴァイヤックという一人の狂信的な男の行動が、歴史の流れを大きく変えたと言えるだろう。彼の動機、背景、そして事件後の影響について、歴史家たちは様々な議論を展開している。彼の生涯は、信仰と狂気の狭間で揺れ動いた一人の男の悲劇として、また、フランスの歴史における暗い一ページとして、後世に語り継がれることになるだろう。

参考文献：
リンゼイ・ポーター『暗殺の歴史』（創元社）

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