フランソワ＝アドリアン・ボイエルデュー

フランソワ＝アドリアン・ボワエルデュー

フランソワ＝アドリアン・ボワエルデュー（François-Adrien Boieldieu, 1775年 12月16日 - 1834年 10月8日）は、19世紀前半のフランス楽壇において中心的な役割を果たしたオペラ作曲家、そしてピアニストです。特にオペラ・コミックの分野で傑出した才能を示し、当時のフランスにおける最も重要な作曲家の一人としてその地位を確立しました。彼の音楽は、優雅で軽やかな旋律と、洗練されたオーケストレーションによって特徴づけられ、かつては「フランスのモーツァルト」という愛称で呼ばれるほど、その音楽的な魅力が高く評価されました。ただし、生年を考えると、彼はむしろベートーヴェンと同世代に属する音楽家です。

生涯

ボワエルデューは1775年 12月16日、フランス北部のノルマンディー地方にある都市ルーアンに生まれました。彼の父親は、ルーアンの大司教に仕える書記でした。幼い頃から音楽に親しみ、8歳で地元のルーアン大聖堂の少年聖歌隊に加わりました。ここで歌唱法やソルフェージュといった音楽の基礎を学びつつ、大聖堂のオルガニストであったシャルル・ブロシュからオルガンや作曲の指導を受け始めました。さらに彼は、パリでアルマン＝ルイ・クープラン、イタリアのボローニャでジョヴァンニ・バッティスタ・マルティーニといった当時の著名な音楽家たちからも教えを受け、鍵盤楽器の演奏技術や作曲理論について深く学びました。

音楽家として実力をつけたボワエルデューは、16歳になった1791年に故郷ルーアンに戻り、聖アンドレ教会のオルガニストに就任しました。この頃からピアニストとしての活動も本格化させ、翌1792年には自身の作品であるピアノ協奏曲ヘ長調を作曲し、自ら独奏者として初演を行っています。これは彼の生涯で唯一のピアノ協奏曲として知られています。

作曲家としてもルーアンで積極的に活動を開始し、1793年には最初のオペラ作品である『罪ある娘』を発表しました。この作品は父親が台本を書き、上演も成功を収めたことで、ボワエルデューはオペラ作曲家としての第一歩を踏み出しました。続く1795年に上演された『ロザリーとミルザ』も成功を収め、彼の名は故郷であるルーアンで知られるようになりました。

故郷での成功を足がかりに、ボワエルデューはフランス音楽の中心地であるパリへの進出を決意し、1796年に移住しました。パリでは瞬く間にその才能が認められ、1797年には『スイス人の家族』、『幸福な知らせ』、『賭』といった3つのオペラを立て続けに発表し、いずれも好評を博しました。これにより、彼はパリのオペラ・コミック劇場で最も人気のある作曲家の一人としての地位を確立しました。1800年以降も『ベニオフスキー』、特に代表作として広く知られるようになる『バグダッドの太守』、そして『オーロール伯母さん』などを発表し、その名声を不動のものとしました。この時期、彼はパリの著名な楽器製造家であったエラール家と親交を結び、そのサロンでルイージ・ケルビーニ、エティエンヌ・メユール、ロドルフ・クレゼール、ピエール・ロードといった錚々たる音楽家たちと交流を深めました。また、教育者としてのキャリアもスタートさせ、1798年から1803年までパリ音楽院のピアノ科教授を務めました（後に1817年に作曲科教授として復職）。

私生活では、1802年にオペラ座の舞踏家クロティルド・マフルーレと結婚しましたが、夫婦関係はすぐに悪化し、数ヶ月で破綻してしまいます。この結婚の失敗が影響したとも言われますが、翌1803年、彼はロシア皇帝アレクサンドル1世の招聘を受け、サンクトペテルブルクへ渡りました。ロシア宮廷では帝室フランス語オペラ総監督として活躍し、約7年間の滞在中にも10作品のオペラを作曲するなど、精力的な創作活動を続けました。

1811年頃にパリへ帰国したボワエルデューは、待望されました。帰国後最初に発表したオペラ『パリのジャン』（1812年）は、パリの聴衆から熱狂的に迎えられ、大成功を収めました。これにより、彼は再びフランス楽壇の中心的人物となります。1817年にはエティエンヌ・メユールの死去に伴い、その後任としてパリ音楽院の作曲科教授に就任し、1829年まで後進の指導にあたりました。彼の教え子の中には、バレエ音楽で名高いアドルフ・アダンや、著名なピアニストとなるピエール・ジメルマンらがいます。さらに1818年には、フランス学士院の会員にも選ばれ、作曲家としての名誉の頂点を極めました。

そして、1825年には彼のキャリアにおける最高傑作とされるオペラ・コミック『白衣の婦人』が初演されました。スコットの小説を原作としたこの作品は、その美しい旋律、劇的な展開、そして巧みな音楽構成により絶大な人気を博し、フランス国内だけでなくヨーロッパ各地で繰り返し上演される大ヒットとなりました。

しかし、『白衣の婦人』以降、彼の新作オペラはかつてのような成功を収めることが難しくなりました。1829年の『2夜』なども、あまり評価されませんでした。さらに、彼は結核性喉頭炎を患い、健康状態が悪化して療養生活を送るようになります。晩年は経済的にも困窮し、最終的には政府からの年金を受けながら生活するという苦しい状況でした。

1834年 10月8日、フランソワ＝アドリアン・ボワエルデューはパリ近郊のヴァレンヌ＝ジャルシーでその生涯を終えました。彼の葬儀はパリの廃兵院（アンヴァリッド）で盛大に執り行われ、その際には親しい友人であったルイージ・ケルビーニが作曲した荘厳なレクイエムが演奏されたと伝えられています。

作品と評価

ボワエルデューは生涯で、合作を含めると41作品ものオペラを作曲したとされる多作家でした。しかしながら、残念なことに、その作品の大部分は現代の劇場で上演される機会はほとんどなく、音楽史の教科書の中での存在に留まっています。それでも、彼の代表作である『バグダッドの太守』や、特に最高傑作とされる『白衣の婦人』の序曲は、現在でもオーケストラの演奏会でしばしば取り上げられる人気曲として親しまれています。また、ハープ協奏曲ハ長調のような器楽曲も、時折演奏されたり録音されたりしています。

彼の作風は、18世紀後半に確立されたフランスのオペラ・コミックの伝統を受け継ぎながら、より洗練された音楽語法と、時代にふさわしい管弦楽の色彩感を加えています。その優雅さと軽快さ、明快な旋律は当時の聴衆の好みに合致し、彼がフランス・オペラ界において確固たる地位を築く要因となりました。

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