ヘクサメロン (ピアノ曲)

ヘクサメロン（Hexaméron）S.392

フランツ・リスト（Franz Liszt）の主導のもと、当時の楽壇を代表する6名の作曲家が共同で手掛けたピアノ曲、それがS.392として知られる『ヘクサメロン』です。この作品は、イタリアの作曲家ヴィンチェンツォ・ベッリーニ（Vincenzo Bellini）のオペラ『清教徒』（I puritani）の中から採られた「清教徒の行進曲」の主題に基づいており、主題とその6つの変奏、そして序奏、間奏、終曲によって構成される変奏曲形式をとっています。そのため、『ヘクサメロン変奏曲』という名称でも親しまれています。「ヘクサメロン」という語は、旧約聖書「創世記」に記された世界の創造にかかった6日間を意味するギリシャ語に由来しており、これは参加した6人の作曲家を示唆するものと考えられます。

成立の経緯

本作が誕生するきっかけは、進歩的なサロンを主宰していたクリスティナ・トリヴルツィオ・ベルジョイオーソ侯爵夫人の提案でした。1837年、夫人はリストに対し、彼自身と当時ヨーロッパで絶大な人気を誇っていた5人のピアニスト仲間、すなわちフレデリック・ショパン（Frédéric Chopin）、カール・チェルニー（Carl Czerny）、アンリ・エルツ（Henri Herz）、ヨハン・ペーター・ピクシス（Johann Peter Pixis）、そしてジギスモント・タールベルク（Sigismond Thalberg）に呼びかけ、ベッリーニの行進曲を主題とした変奏作品を共作することを持ちかけました。この提案に応じ、各作曲家がそれぞれ変奏曲を担当する一方、リストは作品全体の骨格となる序奏、第2変奏、間奏部、そしてフィナーレを作曲しました。さらに、彼は全体の音楽的な流れを円滑にするため、チェルニーとショパンが作曲した部分にも若干の調整を加えています。

作品は、1837年3月31日にパリのベルジョイオーソ侯爵夫人のサロンで開催された、イタリア難民を支援するためのチャリティー演奏会のために委嘱されました。しかし、期日までに全てのパートが揃い、完全に仕上げることはできませんでした。それでも演奏会は予定通り行われ、この夜は特に、出演者であったタールベルクとリストの間で繰り広げられた、後に「世界一のピアニスト」の称号を巡る伝説的な「ピアノ対決」の舞台として歴史に刻まれることになります。この対決に際してベルジョイオーソ夫人が発したとされる「タールベルクは世界で一番のピアニスト、リストは世界で唯一のピアニスト」という評価は、非常に有名な逸話として語り継がれています。

音楽的特徴と編曲

オリジナルのソロピアノ版『ヘクサメロン』には、後の管弦楽編曲を予見させるかのような、豊かな響きと幅広い音域を駆使した書法が見られます。しかし、リスト自身が手掛けたピアノと管弦楽のための編曲版（S.365b, 1837年-1839年頃）では、原曲の多くの部分が割愛されており、作品の規模はほぼ半分に縮小されています。また、2台のピアノのための編曲も2種類存在しており（S.654/1, 1840年頃 および S.654/2, 1870年頃）、1870年版では終結部が完全に書き直されるなど、リストによる改訂が加えられています。

楽曲構成

本作は以下の9つの主要なパートで構成されています。

序奏（リスト） `Extrêmement lent`：重厚な和音と、主題の付点リズムを予告する特徴的な音型が繰り返されます。その後、弱音からトレモロを多用する箇所を経て、次第に盛り上がり主題へと導かれます。
主題（リスト編） `Allegro marziale` 変イ長調 4/4拍子：`Fortissimo`でベッリーニの行進曲主題が力強く提示されます。伴奏には大部分でオクターブのアルペジオが用いられ、リストらしい華やかな装飾的な走句も挿入されます。
第1変奏（タールベルク） `Ben marcato` 変イ長調 4/4拍子：多様な奇想的なパッセージによって主題が装飾されます。中音域で主題を歌わせつつ、高音域と低音域で同時に伴奏を奏でるという、タールベルクが得意とした3声的な書法が特徴的です。
第2変奏（リスト） `Moderato` ヘ短調 4/4拍子：技巧的な要素は控えられ、短調による内省的で穏やかな変奏となっています。
第3変奏（ピクシス） `Di bravura` 変イ長調 4/4拍子：タールベルクの変奏と同様、3声部を用いた書法が多く見られ、華麗で技巧的な響きが特徴です。
リトルネロ（リスト）：ピクシスの変奏に続いて挿入される11小節の短い間奏で、序奏の音型に基づいています。
第4変奏（エルツ） `Legato e grazioso` 変イ長調 12/8拍子：右手が絶え間なく弱音の16分音符による流れるような旋律線を奏でる一方、左手が主題と伴奏の両方を担当するという独特な書法が用いられています。
第5変奏（チェルニー） `Vivo e brillante` 変イ長調 4/4拍子：同音連打が印象的な、非常に活気のある技巧的な変奏です。
接続部（リスト） `Focoso molto energico - Lent quasi recitativo`：チェルニーの変奏から続く、リストが作曲した部分です。前半はトレモロや広音域のアルペジオを用いて劇的な効果を高めますが、後半はレチタティーヴォ風になり、次のショパンの変奏へとスムーズに繋ぎます。
第6変奏（ショパン） `Largo` ホ長調 4/4拍子：穏やかな分散和音の伴奏に乗って、主題が優雅に歌われる、ショパンらしい夜想曲風の変奏です。主題には美しい対旋律が添えられています。
コーダ（リスト）：ショパンの変奏の終わりに付け加えられたリストによる部分で、`Pianissississimo` (pppp) で静かに幕を閉じます。
フィナーレ（リスト） `Molto vivace quasi prestissimo` 変イ長調 6/8拍子：簡潔な導入の後、カプリチオ風の自由な展開が始まります。オーケストラを意識した指示が見られる中で勢いを増し、これまでの変奏の一部（タールベルク、ピクシス、エルツの担当部分）が回想されます。主題提示部の伴奏音型や序奏のリズム音型も再び現れ、その勢いを保ったまま華やかに全曲を締めくくります。

『ヘクサメロン』は、それぞれの作曲家の個性が光る変奏が集まりつつも、リストによる巧みな構成と接続部によって一つのまとまった作品として成立しています。音楽史における著名な「ピアノ対決」の背景となったエピソードと併せて、19世紀ロマン派ピアノ音楽における合作というユニークな試みを現代に伝える貴重なレパートリーと言えるでしょう。

もう一度検索