ヘルマン・ツァップ

ヘルマン・ツァップ（1918年 11月8日 - 2015年 6月4日）は、20世紀を代表するドイツの書体デザイナーの一人です。彼は生涯にわたり、金属活字からデジタルフォントに至るまで、幅広い技術に対応した革新的な書体を数多く生み出しました。彼の妻グドルン・ツァップ＝フォン・ヘッセもまた、カリグラファーおよび書体デザイナーとして知られています。

ツァップの作品、特に「パラティーノ（Palatino）」や「オプティマ（Optima）」といった書体は世界中で高く評価されました。その一方で、彼のデザインはしばしば模倣の対象となり、マイクロソフト製品に同梱されていた「Book Antiqua」のように、「パラティーノ」の模造品とされる例も見られました。

動乱期における出発

ツァップは第一次世界大戦末期、ドイツ革命やスペインかぜの流行、食糧難といった激動の中でニュルンベルクに生まれました。幼少期から科学技術に強い関心を持ち、兄と共に鉱石ラジオや警報システムを自作するなど実験を重ねました。また、早い段階から文字の形に親しみ、兄との秘密の通信のために独自の暗号アルファベットを作るほどでした。

1933年に電気工学を志して学校を卒業しましたが、設立間もないナチス政権下で父親が職を失い、一時的にダッハウ強制収容所に収監されるという困難に直面します。このため、希望していたオーム技術研究所への入学が叶いませんでした。

タイポグラフィーとの出会い

進路を閉ざされたツァップは職探しを始めますが、政治的な質問を浴びせられ、多くの会社で不採用となります。しかし、製図の才能を見抜いた教師の助言により、石版画家を目指すことになりました。その後、偶然訪れたルドルフ・コッホの展示会でレタリングに魅せられ、カリグラフィーの独学を開始します。ニュルンベルクの図書館で手本を学び、その才能はすぐに師の知るところとなり、仕事内容も文字関連のものへと変わっていきました。

フランクフルトでの活動と従軍

徒弟期間を終えたツァップは、ニュルンベルクで労働許可が得られなかったためフランクフルトに移り、ルドルフ・コッホの息子ポール・コッホのもとでタイポグラフィーと唱歌集の制作に携わりました。ここでステンペル社やライノタイプ社といった活字鋳造所との関係を築き、1938年には初の活字書体「ギルゲンガルト（Gilgengart）」をデザインしました。

1939年に徴兵されますが、心臓の持病のためデスクワークに配属され、書類作成などを担当しました。第二次世界大戦が勃発後、一度は免職となりますが、1942年に再徴兵され、地図製作部隊に配属されます。優れた視力と精密な描写技術を活かし、特にスペインの鉄道網の詳細な地図作成に貢献しました。この専門技術は、彼を危険な前線から遠ざける一助となりました。終戦後、短期間フランス軍の捕虜となりますが、作品と健康状態が考慮され、比較的早く解放されました。

戦後の復興と書体デザイン

戦後、大きな被害を受けたニュルンベルクに戻ったツァップはカリグラフィーを教え始め、1947年にはフランクフルトのステンペル社から芸術監督として招かれます。ここで、戦時中に制作したカリグラフィー作品や、オーギュスト・ローゼンベルガーと共同で活字化した「Feder und Stichel（ペンと彫刻師）」といった作品が彼の能力を証明しました。

彼は1948年から数年間、オッフェンバッハの工芸学校でも教鞭を取りました。1951年には、フランクフルトで出会ったカリグラファー、グドルン・フォン・ヘッセと結婚します。グラフィックアーティストとしては、ズーアカンプ、インゼル、ブックギルド・グーテンベルクなど、多くの著名な出版社のブックデザインを手がけました。

ツァップは様々な印刷技術に対応する書体をデザインしましたが、最も広く知られているのは「パラティーノ」（1948年、1952年）と「オプティマ」（1958年）です。「パラティーノ」は16世紀イタリアの文筆家、ジャンバティスタ・パラティーノにちなんで名付けられ、ローゼンベルガーとの共同作業で細部にこだわって作られました。「オプティマ」はサンセリフ体にセリフのようなニュアンスを取り入れた独創的な書体です。カリグラフィーの仕事としては、1960年に国連憲章の序文を多言語で書くという大きな依頼も受けました。

コンピュータ・タイポグラフィーへの挑戦

1960年代に入ると、ツァップはタイポグラフィーのコンピュータ化にいち早く着目します。しかし、ドイツではその先進的な考えはなかなか受け入れられず、ダルムシュタット工科大学でも退けられました。そのため、彼はより新しいアイデアに寛容なアメリカに可能性を見出しました。ハーバード大学やテキサス大学での講演を通じて、コンピュータ・タイプセッティングの理論を発展させようと試みますが、妻のテキサス移住への難色から、アメリカでの長期的な計画は頓挫します。

1972年、フランクフルトからダルムシュタットに移住した後、1976年にはロチェスター工科大学から世界初のタイポグラフィック・コンピュータ・プログラミングの教授職を打診され、1977年から10年間、アメリカとドイツを往復しながら教鞭を取りました。この期間、IBMやXeroxといった企業、コンピュータ専門家との交流を通じて理論を深めました。1977年には友人とデザイン処理会社をニューヨークに設立し、コンピュータ・ソフトウェア開発にも取り組みましたが、共同経営者の死や内部問題を経て、最終的にはハンブルクのURW社と組んで組版プログラム「hzプログラム」を開発しました。この技術は後にアドビシステムズが買収し、InDesignに活かされました。

ツァッフィーノの開発

1990年代には、米国数学会向けの「AMSオイラー」をドナルド・クヌースらと共同制作しました。この経験がきっかけとなり、彼は以前から暖めていた流動的な筆記体書体のアイデアを形にすることを考え始めます。金属活字では不可能だった、豊かな装飾文字や合字を自由自在に表現できる書体を目指し、スタンフォード大学のデビッド・シーゲルやプログラマのジノ・リーと協力して「ツァッフィーノ（Zapfino）」の開発に着手しました。プロジェクト途中でシーゲルが離脱するという予期せぬ事態に見舞われますが、ツァップはライノタイプ社の協力を得て開発を続け、1998年に「ツァッフィーノ」をリリースしました。後のバージョンではAATやOpenTypeといった技術が活用され、ツァップのカリグラフィー本来の流れるような表現がより正確に再現されるようになりました。

代表的な書体一覧

ヘルマン・ツァップがデザインした主な書体には以下のようなものがあります。

アルダス (Aldus)
オイラー (AMS Euler)
オプティマ (Optima) / オプティマ・ノヴァ (Optima Nova) (小林章との共作)
パラティーノ (Palatino) / パラティーノ・ノヴァ (Palatino Nova) / パラティーノ・サンズ (Palatino Sans) (小林章との共作)
メリオール (Melior)
メディチ・スクリプト (Medici Script)
ツァッフィーノ (Zapfino) / ツァッフィーノ・エクストラ (Zapfino Extra)
ITC ツァップ・チャンスリー (ITC Zapf Chancery)
* ITC ツァップ・ディンバッツ (ITC Zapf Dingbats)

ヘルマン・ツァップは2015年に96歳でその生涯を閉じましたが、彼が生み出した数々の書体と、タイポグラフィーにおける技術革新への貢献は、現在も多くのデザイナーに影響を与え続けています。

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