ヘレネの掠奪 (ティントレット)

ティントレット作「ヘレネの掠奪」

イタリア・ルネサンスの巨匠、ティントレットが1578年から1579年にかけて制作した油彩画「ヘレネの掠奪」は、古代ギリシアの叙事詩『イーリアス』を題材とした作品です。かつては「トルコ軍とキリスト教徒の戦い」として知られていましたが、現在はトロイ戦争の引き金となったヘレネの誘拐事件を描いたものとされています。

作品の背景

この絵画は、元々マントヴァのゴンザーガ家のコレクションに収蔵されていましたが、17世紀にイングランド王チャールズ1世の手に渡り、その後、スペイン王フェリペ4世のコレクションとなりました。1819年からは、マドリードのプラド美術館に所蔵されています。

描かれている場面

「ヘレネの掠奪」は、トロイの王子パリスが、女神アフロディーテの約束により、世界一の美女ヘレネを略奪する場面を描いています。ホメロスの『イーリアス』では、ヘレネはトロイ側に誘拐されたとされています。ティントレットは、画面上部で激しい戦闘が繰り広げられる中、左下でヘレネが船に連れ去られる瞬間を描いています。

絵画の構成と技法

この作品は、当時のトルコ人とキリスト教徒の戦闘を描いた図像を参考に、ヘレネをヴェネツィアの寓意として捉えています。ティントレットは、逆光によるコントラストを強調し、前景の人物を鮮やかに浮かび上がらせる一方で、後景の人物は光の中に溶け込ませるように描いています。この手法は、後の「東方三博士の礼拝」など、他の作品にも見られます。

また、ティントレットは、色彩、明暗法（キアロスクーロ）、そして人物のポーズを駆使して、ダイナミックな画面を作り出しています。特に、無力なヘレネの嘆願する表情と、彼女を捕らえる者たちの暴力的な姿の対比は、見る者の心に強く訴えかけます。画面の端に帆船が人物の上から描かれている事実は、画家の関心が単なる物語の再現ではなく、人物間の関係性を描くことにあったことを示唆しています。

制作過程

この絵画は、暗色で下塗りされた上に、鉛白で人物像がスケッチされています。当初、ヘレネも裸体でスケッチされていました。また、ヘレネの顔は最初は右側を向いていましたが、修正された跡が残っています。

作品のまとめ

「ヘレネの掠奪」は、ティントレットの卓越した技術と、ドラマチックな表現力が際立つ作品です。物語の場面を捉えながらも、人物の感情や関係性を深く掘り下げ、見る者に強い印象を与えます。この作品は、ティントレットの創造性と、ヴェネツィア派の絵画の特徴を色濃く示しています。

参考文献

• - 『プラド美術館ガイドブック』、プラド美術館、2009年刊行、ISBN 978-84-8480-189-4
• - 吉田敦彦『名画で読み解く「ギリシア神話」』、世界文化社、2013年刊行　ISBN 978-4-418-13224-9

外部リンク

• - プラド美術館公式サイト、ティントレット『ヘレネの掠奪』 (英語)

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