ムラージュ

ムラージュ：医療の歴史を刻む蝋細工の模型

ムラージュとは、蝋や石膏などを使って作られた、病気や怪我の状態をリアルに再現した人体模型のことです。医療教育や傷病記録のために制作され、その精巧さから、医学史における重要な資料として現在も高い価値を保っています。

ヨーロッパにおけるムラージュの歴史

蝋細工による解剖学的模型の制作は古くから行われていましたが、ムラージュを芸術的なレベルにまで高めたのは、17世紀のイタリア人職人、ガエターノ・ジュリオ・ズンモ（後のズンボ）です。彼はナポリ、フィレンツェ、パリと活動拠点を移し、ルイ14世から王室への解剖模型製作の独占権を与えられるほど高い評価を得ました。

その後も多くの制作者が現れましたが、中でも特に傑出した人物として知られるのが、フランスのサン・ルイ病院に所属したジュール・バレッタです。彼は2000体以上のムラージュを制作し、フランスのレジオン・ドヌール勲章を受章しました。バレッタは、患者の病変を忠実に再現するために、病院の屋根裏部屋で患者から型を取り、作業中は患者のために話し相手になったり、ピアノを演奏したり、歌を歌ったりして、患者の負担を軽減する工夫を凝らしたと言われています。

彼が開発した独自の釉薬を用いて何層にも重ねられた蝋は、まるで本物の皮膚のように透き通っており、人々は病変を直接見ているかのような錯覚を覚えたそうです。サン・ルイ病院には、バレッタの作品を含む4000体以上のムラージュが収蔵されており、その一部は病院内の博物館で公開されています。同病院では1958年までムラージュの制作が続けられました。

ヨーロッパ各国、そして日本の医科大学においても、戦前には多くのムラージュが制作されました。

日本におけるムラージュの歴史

日本にムラージュの技術を伝えたのは、東京大学初代皮膚科教授の土肥慶蔵です。彼は留学中に製法を学び、1898年に帰国後、伊藤有らにその技術を伝えました。伊藤有は独自の製法を開発し、1910年の日英博覧会で名誉大賞を受賞するなど、高い評価を得ました。当時、一個18円（10個以上で15円）で販売もされていたようです。

その後、長谷川兼太郎、町田信治といった後継者たちがムラージュ制作を続け、全国の医科大学の皮膚科で広く教育に活用されました。一部は満州にも送られた記録もあります。しかし、カラーフィルムの普及などにより、ムラージュの制作は次第に減少していきました。

現在、北海道大学、千葉大学、東京大学、新潟大学など多くの大学が、貴重なムラージュコレクションを所蔵しています。しかし、これらの模型は経年劣化が進んでおり、保存状態の維持が課題となっています。

ムラージュを収蔵・展示する機関

東京大学総合研究博物館
北海道大学総合博物館
名古屋大学博物館
スペーコラ美術館（イタリア・フィレンツェ）
* ドイツ衛生博物館

ムラージュは、医学の進歩を象徴する貴重な資料であり、その歴史的・芸術的価値は高く評価されています。しかし、劣化の進行という課題も抱えているため、適切な保存と公開方法の確立が求められています。

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