ライオンの穴の中のダニエル (ルーベンス)

『ライオンの穴の中のダニエル』は、フランドルのバロック美術を代表する巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスが1615年に制作した油彩画です。この作品は、旧約聖書の「ダニエル書」に記されたダニエルの物語を題材としています。

作品の来歴

この絵画は、もともとルーベンスとイギリス大使ダドリー・カールトン卿の間で行われた美術品交換の一部でした。カールトン卿は、ヴェネツィア大使時代に収集した古代の大理石彫刻のコレクションをルーベンスが欲しがっていたため、1618年に本作を含むルーベンスの絵画と交換しました。ルーベンスは、この作品を「実物から写生した多数のライオンの中にいるダニエル。完全に私の手になるオリジナル作品」と自ら説明しています。

その後、この絵画はカールトン卿からチャールズ1世に贈られ、ハミルトン公爵の手に渡り、スコットランドのハミルトン宮殿に保管されました。1882年にハミルトン宮殿とともに売却された後、一時的にハミルトン家に戻りましたが、1919年に再び売却されました。1963年にはカウドレイ子爵が購入し、後に画商を通じてアメリカに渡り、1965年からワシントンのナショナル・ギャラリーに所蔵されています。

作品の主題

この絵画の主題は、ダニエル書に記された物語に基づいています。ペルシア王ダレイオス1世は、神を崇拝するダニエルをライオンの洞窟に閉じ込めました。しかし、翌朝、ダニエルは無傷で生還しており、神の加護が示されました。この出来事は、神への信仰が揺るぎない者に対する神の保護を象徴しています。神学者たちは、ダニエルの奇跡的な生還をイエス・キリストの復活の予兆と捉え、キリスト教の信仰における重要なテーマの一つとして解釈しました。

また、この時代には宗教改革の波が押し寄せており、カトリック教会は、プロテスタントに対抗するために、殉教者の役割を強調しました。ダニエルは、試練に耐え、信仰を貫いた殉教者の理想的な姿とされ、信仰の重要性を説く上で重要な役割を果たしました。

作品の描写

ルーベンスは、この絵画でダニエルを若い男性として描いています。聖書の記述では、この出来事が起こった時、ダニエルは80歳以上であったとされていますが、絵画では若々しい姿で描かれています。ダニエルは、筋肉質で青白い肌の青年として、7頭の雄ライオンと2頭の雌ライオンがひしめく洞窟の中に座り、神に祈りを捧げています。彼は、腰に白い布を巻き、深紅色の布の上に座り、両手を胸の前で組み合わせています。

ダニエルの周囲には、ライオンたちが歩き、座り、横たわっています。左隣の雄ライオンは口を開け、牙と舌を露わにしています。洞窟の地面には、人間の頭蓋骨や骨が散乱しており、ライオンの恐ろしさを際立たせています。洞窟の奥には小さな開口部があり、そこから光が差し込んでいます。これは、ダレイオス1世がダニエルを洞窟から引き上げる場面を示唆しています。

ルーベンスは、リアリズムと演劇的な表現を巧みに融合させ、鑑賞者に強い感情的な反応を引き出そうと試みています。ライオンたちは、まるで生きているかのように描かれ、鑑賞者を見つめ返しているものもいます。これにより、鑑賞者もダニエルの危機を共有しているかのような感覚を覚えます。ルーベンスは、ブリュッセルにあったスペイン総督の動物園でライオンを観察し、スケッチしたと考えられています。特に、右端の背を向けたライオンは、チョークと水彩を用いた習作が残っています。

劇的な照明や、ダニエルの感情的な祈りのポーズも作品の真実性を高めています。ルーベンスは、1609年にイタリアからアントウェルペンに戻った後、スペイン領ネーデルラント総督の宮廷画家を務めました。本作は、彼のその後の豊かな創作活動の中で生まれた最も重要な作品の一つです。

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