ラサ (インド文化)

ラサ（Rasa）

インドの伝統的な美学や芸術論において、非常に重要な位置を占める概念に「ラサ」があります。これはカーマ（愛や欲望に関する学問体系）の系統に属する用語で、特定の心理的な状態や雰囲気を指し示します。文脈によって「感情」や「香り」、あるいはインド舞踊の世界では「観客の心に生じる感動」など、多様な意味合いで理解されます。

ラサの考え方の根源は、味覚にあるとされています。私たちは何かを口にした際に、甘味、酸味、辛味といった様々な感覚を得ます。この直接的な感覚を、詩や文学作品の読解、演劇や音楽、ダンスの鑑賞時に心の中に生まれる「気分」や「感情」へと拡張したものがラサという概念の始まりです。ラサは人間の根源的な感情と深く結びついています。

ラサの内容は、研究者や学派によって完全に一致しているわけではありませんが、特に芸術分野においては「ナヴァ・ラサ」、すなわち九つの感情として捉えられることが一般的です。例えば、インド古典音楽の世界では、以下の九つの感情がナヴァ・ラサとして認識されています。

1. 恋情（シュリンガーラ）
2. 滑稽な笑い（ハスィヤ）
3. 悲しみ（カルナ）
4. 怒り（ラウドラ）
5. 勇ましさ（ヴィーラ）
6. 恐れ（バヤナカ）
7. 嫌悪（ビーバッア）
8. 驚き（アドゥブタ）
9. 平和・寂静（シャンタ）

音楽家は、演奏を通じてこれらのラサを正確に表現することが求められます。例えば、聴衆の心に悲しみの感情（ラサ）を喚起することを意図して歌唱する場合、誤って怒りの感情を生じさせてしまうことは避けるべきです。ヒンドゥスターニー音楽（北インド古典音楽）において、「ラーガ・ジョーンプリ」は、悲哀のラサに基づいた代表的なラーガとして知られています。このラーガは、ほとばしるような深い悲しみを表現する一方で、その内に優しさや力強さを秘めているとも評されます。

インド舞踊においても、ラサは極めて重要な要素です。舞踊の主な目的の一つは、演じるダンサーの表現や顔の表情などを通して、鑑賞者の心に様々な感情、すなわちラサを呼び起こすことにあります。ダンスの振り付けや構成は、観客が特定のラサを感じられるように計算されて創られています。インド舞踊におけるナヴァ・ラサの内容は、音楽の場合とほぼ共通しており、ダンサーはこれらの感情を表現することで、鑑賞者に深い感動をもたらし、一種のカタルシスを生み出すことを目指します。ここで言われる「ナヴァ」は、ダンサーが舞台上で表現する基本的な九つの感情表現を指すとも理解されます。

また、アーユルヴェーダ（インド伝統医学）の世界でも「ラサ」という言葉が使われますが、こちらは主に味覚を指し、甘味（マドゥー）、酸味（アムラ）、塩味（ラヴァナ）、辛味（カトゥ）、苦味（テクタ）、渋味（ケシャイ）の六つの味覚が認識されています。これは芸術における感情としてのラサとは異なりますが、同じ言葉が異なる文脈で用いられている興味深い例と言えるでしょう。

ラサの概念は、インドの多様な文化や芸術において、表現者と鑑賞者の間に共有されるべき情感や雰囲気、あるいは直接的な感覚として、その理解と創造の根幹をなしています。

（参照：ナーティヤ・シャーストラなど）

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