ラ・チ・ダレム変奏曲

「ラ・チ・ダレム変奏曲」は、正式には「モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の『お手をどうぞ』による変奏曲変ロ長調作品2」として知られる、ポーランド出身の作曲家フレデリック・ショパンが手掛けた初期の重要な作品です。この曲の主題は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの有名なオペラ『ドン・ジョヴァンニ』の第1幕に登場する、ドン・ジョヴァンニとツェルリーナの魅力的な二重唱「お手をどうぞ（La ci darem la mano）」から採られています。

成立と背景

この作品は、ショパンがわずか17歳だった1827年に完成しました。彼は当時、師であるユゼフ・エルスネルの指導を受けながら作曲活動を行っており、この曲はショパンにとって初めての管弦楽伴奏を伴う作品として、並々ならぬ意欲を持って書かれました。完成後、親しい友人であるティトゥス・ヴォイチェホフスキに献呈されています。

初演と歴史的な評価

完成から2年後の1829年 8月11日、ウィーンのケルトナー劇場で行われたショパンのウィーンデビューコンサートにおいて、作曲者自身のピアノ独奏と管弦楽によって初めて公開されました。この初演は大きな成功を収め、作品はすぐに聴衆の熱狂的な支持を集め、瞬く間にヨーロッパ中でその名を知られることとなります。

特に有名なのは、ドイツの作曲家で評論家でもあったロベルト・シューマンが、彼が編集していた音楽評論誌『新音楽時報』の1831年 12月7日号で、この作品を聴いて送った劇的な賛辞です。シューマンは「諸君、帽子を脱ぎたまえ！天才だ」と記し、若きショパンの才能を世界に知らしめました。しかし、このシューマンの熱烈かつ多分に文学的な筆致による批評に対し、ショパン自身は少々困惑した様子でした。彼は友人ティトゥス・ヴォイチェホフスキに宛てた手紙（1831年 12月12日付）の中で、「あのドイツ人（シューマンのこと）の空想には、笑い死にしそうになったよ」と述べ、彼独特の皮肉を交えた感想を残しています。作品は初演の翌年、1830年に出版され、広く演奏されるようになりました。

作品の特徴と編成

この変奏曲は、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、ティンパニ（2台）、そして独奏ピアノと弦楽五部という編成で書かれています。ショパンの他の管弦楽を伴うピアノ作品と同様に、この曲でも管弦楽パートの書法について、しばしば熟練度に欠けるとの指摘がなされることがあります。そのため、管弦楽パートを取り去った独奏ピアノ版も出版されていますが、これは作曲家自身の意図するところではなかったと考えられています。

楽曲構成

この作品は、序奏、主題、6つの変奏、そしてコーダから構成されています。

序奏（Largo）：チェロが主題の冒頭の動機を提示することから始まり、弦楽パートがそれに続きます。その後、独奏ピアノが穏やかに登場し、次第に華麗で技巧的な装飾を加えていきます。音楽は転調を繰り返しつつ「Poco piu mosso」となって高揚し、ピアノの長いカデンツァを経て、変奏の主題がピアノ独奏で提示されます。途中から管弦楽の伴奏が加わります。
主題提示とリトルネロ：主題が提示された後、管弦楽が短い合いの手（リトルネロ）を挿入します。これは各変奏後にも現れるこの変奏曲の大きな特徴であり、各変奏が管弦楽のリトルネロによって繋がれるという独自の形式をとっています。
第1変奏（Brillante）：3連符を中心とした、輝かしく軽快な変奏です。
第2変奏（Veloce, ma accuratamente - 急速に、ただし慎重に）：32分音符がユニゾンで素早く駆け巡る変奏で、弦楽器のピチカートが伴奏を支えます。
第3変奏（Sempre sostenuto）：この変奏はピアノ独奏のみで行われ、左手が細やかに動き回る対旋律的な要素を持ちます。
第4変奏（Con bravura）：跳躍音型を多用した、大胆で技巧的な変奏です。この後のリトルネロで音楽は大きく展開します。
第5変奏（Adagio）：変ロ短調に転じ、この曲の中で最も叙情的で、ショパンの才能が最も発揮された部分と評されることが多い変奏です。主題は比較的自由に扱われ、ピアノは高音から低音まで、ゆったりと波打つような美しい旋律を奏でます。途中に現れるティンパニのソロも印象的な効果を上げています。
第6変奏（Alla Polacca）：ピアノによる経過句を経て、3/4拍子のポロネーズとなります。ここではピアノと管弦楽が協奏しながら、華やかで堂々とした音楽が展開され、晴れやかな気分で全曲が閉じられます。シューマンは彼の批評の中で、この部分をオペラ『ドン・ジョヴァンニ』の最後の場面そのもののように感じたと述べています。
* コーダ：全曲の終結部です。

同主題による他の作品

モーツァルトの「お手をどうぞ」という主題は、ショパン以外にも多くの作曲家の創作意欲を刺激しました。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは既に1795年頃にオーボエとイングリッシュホルンによる変奏曲（WoO 28）を作曲しています。ヴァイオリニストのニコロ・パガニーニもギターのための小変奏曲を残しました。最も知られているものの一つは、フランツ・リストが1841年に完成させたピアノ変奏曲『「ドン・ジョヴァンニ」の回想』の中で、この主題を主要な要素の一つとして用いている例です。さらに、ジョルジュ・ビゼーもこの主題による変奏曲を構想していたようで、ピアノ譜に主題を転譜したスケッチが残されています。

「ラ・チ・ダレム変奏曲」は、若きショパンが国際舞台で脚光を浴びるきっかけとなった作品であり、彼の円熟した作品とは異なる初々しさや即興性、そして卓越したピアノ技巧が融合した、聴きごたえのある作品として今日でも演奏され続けています。

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