リマ排日暴動事件

リマ排日暴動事件

1940年5月13日、ペルーの首都リマを中心に発生した、日系移民に対する大規模な暴動・略奪事件です。この事件は、太平洋戦争終結までの約5年間、ペルーの日系移民にとって最も困難な時期の始まりとなりました。背景には、日系移民の都市部への集中、ペルー社会への同化に対する拒否感、そしてそれらがもたらしたペルー社会における排日感情の高まりがありました。

事件の背景

日系移民の状況

ペルーへの日本人移民は、1899年に始まりました。当初はプランテーションでの労働を目的とした契約移民が中心でしたが、次第に都市部へと移り住む人が増えていきました。1923年の調査では、ペルー在住の日本人は約9,440人、そのうち約6,000人がリマ周辺に集中していました。1917年には、日系移民の相互交流を目的としたペルー中央日本人会が設立されています。

ペルー国内の排日気運の高まりと契約移民の廃止

1920年代頃から、ペルー国内では排日感情が高まり始めました。以前から先住民に対する差別意識が強かったペルーでは、日本人の肌の色が先住民と似ていることから、差別対象と見なされたのです。排日記事は新聞などを賑わすようになり、1919年には白人移民を奨励する大統領令が出され、日系移民の都市部集中が問題視されるようになりました。1922年には「東洋人入国禁止法案」が議会に提出され、1923年には日ペルー両政府の合意により契約移民が廃止されました。

1930年の暴動事件

1929年の世界恐慌はペルー経済に大きな打撃を与え、社会不安が高まりました。1930年8月、クーデターが発生し、その混乱に乗じてリマの下層階級が暴動を起こしました。この時、日系移民の商店も略奪の標的となり、130店舗が被害を受けました。この暴動は、日系移民のみならず、他の移民も標的となっていましたが、排日感情が根底にあることが示唆されました。

1930年の暴動事件への日系移民の対応

ペルー中央日本人会は、この暴動事件を受けて、都市部への集中を避けるため、新たな産業開発を提案しました。また、ペルー社会との摩擦を避けるため、外見上の問題のある職業の転廃業、商業道徳の重視、ペルー人雇用、頼母子講の自粛などを決めました。さらに、生活習慣を現地に合わせるよう、社会問題研究会を設け、生活様式の改善に取り組みました。

排日感情の理由

1931年、在ペルー日本公使であった来栖三郎は、日本外務省に「秘露ニ於ケル排日運動」という報告書を送りました。この中で、排日感情の原因として、以下の点が指摘されています。

アマゾン入植のはずの日本人が都市部に集中して商業を始めたこと
日本人経営の店がペルー人の仕事を奪ったこと
日本人経営の店が零細で、ペルー人を雇用しなかったこと
飲食店での不衛生さが問題となったこと
* 日本人がペルー人と積極的に交流しなかったこと

ペルーの政治状況

1940年当時、ペルーの大統領はマヌエル・プラード・イ・ウガルテチェであり、白人至上主義者でした。1932年には外国人雇用に関する法が制定され、1936年には移民制限令が公布され、外国人経営の数を制限しました。この頃、移民数が制限を超えていたのは日本人だけでした。

アプラ党の扇動

アプラ党は、社会主義政党で、当初から反日感情が強く、日系移民を政府攻撃の材料として利用しました。アプラ党の機関誌は、日系移民に関するデマ記事を掲載し、政権を揺さぶりました。

事件発生前の状況

1936年のペルー政府の発表によると、ペルー在住の日本人は2万2560人で、全外国人の46.7%を占めていました。そのうち約6割がリマ、カヤオの都市部に居住していました。移民制限令はあったものの、実際には日本人経営の店がペルー人の仕事を圧迫していました。

駐ペルー日本公館の状況

当時の日本の領事は、非常に強い権限を持っていました。領事館は、日本政府の外交基本方針を遵守し、在留日本人を指導する役割がありました。しかし、在外公館の指導は、結果的に日系移民のペルー社会への同化拒否を助長することになりました。1939年には佐藤舜が領事として赴任しましたが、威圧的な態度が問題となりました。

古屋事件

1939年末に発生した古屋事件は、排日感情をさらに過熱させました。この事件は、日系移民がペルーに帰化した古屋を強制的に日本に帰国させようとしたもので、領事館も関与していました。事件の過程で、ペルー人女性が死亡し、排日新聞はこれを大々的に報道しました。古屋事件は、新聞の排日報道の過熱、公使と領事の不仲、日本公使館とペルー政府の不信感を生み出しました。

排日報道の激化

古屋事件をきっかけに、排日報道は過熱していきました。デマ情報も多く、社会不安を煽りました。しかし、領事館やペルー中央日本人会は、事態を軽視していました。

アメリカ政府の関与

アメリカ政府は、ペルーの日系移民を潜在的な危険分子と認識し、諜報機関を使って監視していました。アメリカは、ペルーが産出する資源を戦略物資として必要としており、日系移民の動向に警戒していました。

事件直前の状態

事件直前には、「日本人が大量の武器を密輸入している」といったデマが報道されました。また、サッカーの試合で反日ビラが撒かれ、日本人商店で起きた子供の喧嘩が日本人による暴行事件として報道されました。

事件の経過

暴動の発生

1940年5月13日、リマでペルー人の中学生が日系移民の商店に投石を始めたことがきっかけで、暴動が発生しました。略奪は20時間以上続き、日系移民は領事館や日本人学校に避難しました。領事館は軍の出動を要請しましたが、内務省と警察はこれを黙殺しました。

暴動の収束

14日午前8時に戒厳令が敷かれましたが、情勢は完全に収まることはありませんでした。15日にも散発的に略奪が発生しました。20日、北田公使がリマに帰任し、事態の収拾に尽力しました。

地震の発生

暴動が収まりつつあった5月24日、リマ地方で大きな地震が発生しました。日本人小学校には多くの日系移民が避難していましたが、震災被害者も流れ込み、混乱しました。

領事館の対応

暴動発生直後、日系移民は領事館に対応を求めましたが、領事は事態を軽視し、取り合おうとしませんでした。領事はペルー側に善処を求めましたが、古屋事件の影響でペルー政府とのコミュニケーションは困難でした。また、公使が不在であったことも事態を悪化させました。

日本での報道

東京朝日新聞は、5月16日に事件を報道し、5月17日には佐藤領事のインタビューを掲載しました。

佐藤領事のインタビュー

インタビューで、佐藤領事は、暴動が古屋事件とは無関係であると主張しました。また、外務省には、暴動の原因を「ペルーのアプラ党」や「中国人の陰謀」であると報告しました。

日本政府の対応

5月15日、日本政府はペルー政府に抗議し、犯人の厳罰と損害賠償を要求しました。しかし、佐藤領事の責任は大きく、外務省は佐藤領事を転勤させました。また、被害者の帰国問題が起こり、最終的に一部の日系移民が日本に帰国することになりました。

ペルー政府の対応

5月18日、ペルー政府は外国人移民の入国を停止しました。また、暴動事件の調査委員会を設置し、責任者を処分しました。しかし、その賠償は遅れました。

暴動の被害

暴動により、日系移民の死者1名、負傷者10数名、略奪を受けた家屋は500軒以上、被害額は360万ソル以上に上りました。

暴動後の動向

1940年に新しい領事、1941年には新しい公使が着任し、賠償問題と排日感情の改善に努めました。しかし、賠償問題は難航し、太平洋戦争開戦により、日本とペルーは断交しました。1962年、賠償問題は再燃しましたが、ペルー政府は支払いを渋り、ごく一部のみが支払われました。

太平洋戦争時の日系移民の状況

太平洋戦争開戦後、ペルー政府は日本人に対する態度を硬化させました。日本語新聞の発行は停止され、日系人は強制収容されました。外交官、商社員、日系移民はアメリカに強制送還され、資産は没収されました。ペルーに残った日系移民も、資産凍結、集会禁止など厳しい制限を受けました。

日系移民の心情

戦後、ペルーの日系移民は、敗戦を受け入れられない「勝ち組」と呼ばれる集団と、現実を受け入れようとするグループに分断されました。また、ペルーで生まれた日系二世は、親から日本語を話すように強要されたり、ペルー社会でアイデンティティに悩んだりしました。

暴動事件の考察

日系移民の都市部への集中

もともと農村に入植したはずの移民が都市部に集中し、ペルー人の仕事を奪ったことが不満を生み出しました。

日系移民のペルー非同化

日系移民は同族意識が強く、日本の動向に影響を受けて排他的になり、ペルー社会への同化を拒否しました。

ペルー国権の軽視

領事館はペルーの主権を軽視し、このことがペルー当局が事件を傍観する原因となりました。領事や日系移民の中には、ペルーを未開の国と見下す風潮がありました。

公使と領事の齟齬

公使と領事の関係がうまくいっていれば、排日感情を抑えることができたかもしれません。古屋事件も回避できた可能性があり、この暴動自体が起こらなかった可能性も指摘されています。

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