ロシア四重奏曲

ハイドン：弦楽四重奏曲集 作品33 『ロシア四重奏曲』

フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが1781年に筆を起こし、翌1782年4月にウィーンのアルタリア社から世に出された弦楽四重奏曲集で、全6曲をもって構成されています。これらの作品は、ハイドンの創作活動における一つの頂点を示すとともに、弦楽四重奏というジャンルが古典的な完成期を迎えた記念碑的な存在と位置づけられています。その洗練された形式と表現は、その後の多くの作曲家が手掛ける弦楽四重曲の模範となり、ハイドンが「弦楽四重奏曲の父」と称されるようになる重要な契機となりました。

同時代を代表する天才、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトもまた、このハイドンの六重奏曲の芸術性の高さと音楽史における意義に深く感銘を受けました。彼はこの作品を研究し、約二年半の歳月をかけて自身の弦楽四重奏曲六曲（後に『ハイドン・セット』と呼ばれる）を作曲し、尊敬するハイドンに献呈したことはよく知られたエピソードです。

愛称の由来

この作品集が『ロシア四重奏曲』という通称で呼ばれるようになったのは、アルタリア社が出版した第二版の楽譜に「ロシア大公に献呈」との記載があったことに由来します。この「ロシア大公」とは、後の1796年にロシア皇帝となるパーヴェル・ペトロヴィッチのことです。

ハイドンは作品を作曲した1781年に、ウィーンを訪れていたパーヴェル・ペトロヴィッチ大公夫妻と親交を結んでいます。この時、ハイドンは大公夫人マリア・フョードロヴナに数回にわたり音楽の指導を行ったほか、夫人の滞在先でハイドン自身が主宰する私的な演奏会が催されました。伝えられるところによれば、その演奏会では、この『ロシア四重奏曲』の中から一曲が披露されたとされています。

作曲の背景と革新

ハイドンは、この作品に着手する約10年前にあたる1772年に、やはり全6曲からなる弦楽四重奏曲集 作品20、通称『太陽四重奏曲』を作曲していました。しかし、この『太陽四重奏曲』以降、『ロシア四重奏曲』が生まれるまでの約10年間、ハイドンは弦楽四重奏曲の作曲から遠ざかっていました。

『太陽四重奏曲』では、全6曲中3曲の終楽章にフーガを取り入れるなど、バロック時代の対位法的な手法を大胆に導入し、弦楽四重奏という形式に新たな芸術的深みを与えようと試みられていました。これは、当時まだディヴェルティメント（娯楽音楽）の範疇に留まることも多かった弦楽四重奏曲を、より本格的な芸術音楽へと高めるための試みでしたが、ハイドン自身は、この旧来の対位法形式と新しいジャンルとの融合に完全な満足を得られなかったとされています。また、その構造的な凝縮や厳格さから、『太陽四重奏曲』はやや力みが感じられる作品となり、ハイドンは一時的に創作上の隘路に差し掛かっていたとも考えられています。

しかし、約10年の沈黙を経て着手されたこの作品33は、出版に先立つ書簡でハイドン自身が「全く新しい特別な方法で作曲された」と積極的に触れ回ったように、それまでの作品とは一線を画す革新性を備えていました。より磨かれた形式美、均衡の取れた構成、そして典雅な響きが追求される一方で、従来のメヌエット楽章に代えて、より軽快で遊び心のあるスケルツォ楽章が導入されるなど、新しい手法が取り入れられました。これにより、弦楽四重奏という形式は、堅苦しさから解放され、より自然で洗練された表現力を獲得したのです。中には、第38番『冗談』のように、楽章の終わらせ方に独特のユーモアが光る作品も見られます。

このように、『ロシア四重奏曲』において古典派弦楽四重奏の確固たるスタイルを確立したハイドンは、その後の作品において、この形式を自在に操り、楽器間の対等な対話、巧みな和声、そして彼ならではのユーモアとウィットを盛り込みながら、質の高い弦楽四重奏曲を次々と生み出していくことになります。

作品33の各曲

以下の6曲から構成されます。（）内は、偽作や編曲作品を除いた通し番号です。

弦楽四重奏曲第37番（第31番）ロ短調 作品33-1, Hob. III:37 （ロシア四重奏曲第1番）
弦楽四重奏曲第38番（第30番）変ホ長調 作品33-2, Hob. III:38 『冗談』 （ロシア四重奏曲第2番）
フィナーレのユーモラスな終わり方からこの愛称が付けられました。
弦楽四重奏曲第39番（第32番）ハ長調 作品33-3, Hob. III:39 『鳥』 （ロシア四重奏曲第3番）
第1楽章の第二主題が鳥のさえずりを思わせる旋律であることに由来します。
弦楽四重奏曲第40番（第34番）変ロ長調 作品33-4, Hob. III:40 （ロシア四重奏曲第4番）
弦楽四重奏曲第41番（第29番）ト長調 作品33-5, Hob. III:41 『ご機嫌いかが』 （ロシア四重奏曲第5番）
第1楽章冒頭に置かれた短い導入部分が、問いかけのように聞こえることから名付けられました。
弦楽四重奏曲第42番（第33番）ニ長調 作品33-6, Hob. III:42 （ロシア四重奏曲第6番）

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