ヴァレリー・レガソフ

ヴァレリー・レガソフ：チェルノブイリ事故と、その影に消えた科学者

ヴァレリー・レガソフは、ソ連を代表する化学者であり、ソ連科学アカデミー会員でした。1936年、ロシア西部のトゥーラで労働者階級の家庭に生まれ、モスクワのメンデレーエフ記念化学工科大学で化学工学を学びました。その後、ソ連原子力研究の中枢であるクルチャトフ原子力研究所で研究を重ね、核燃料加工に関する研究で博士号を取得。シベリアの放射性化学工場勤務を経て、クルチャトフ研究所で数々の技術開発に携わり、副所長、第一副所長を務めました。また、モスクワ物理工科大学教授やモスクワ大学化学部化学工学科長なども歴任し、ソ連を代表する科学者として活躍しました。

1986年4月26日、チェルノブイリ原発事故が発生します。レガソフは政府の対策チームに加わり、現地へと急行。彼は事故の深刻さをいち早く認識し、世界への放射能拡散を防ぐため、緊急対策として空中からの砂袋投下を提言、その実現に尽力しました。同年7月、極秘裏に開催された共産党中央委員会政治局会議に出席し、ゴルバチョフ書記長への説明責任も果たしています。8月にはウィーンの国際原子力機関（IAEA）で開かれた専門家会議にもソ連代表として参加しました。

しかし、レガソフの真摯な姿勢は、ソ連政府の閉鎖的な体質と衝突しました。事故調査委員会の中心人物として、彼は事故の真相を隠蔽しようとする政府の姿勢に反発し、情報公開を強く主張しました。その結果、様々な圧力や困難に直面することになります。一方、事故現場での被曝は彼の健康を蝕んでいました。

1988年4月26日、事故発生から2周年の日に、レガソフは衝撃的な告発メモを残します。その内容は、チェルノブイリ事故発生に至るまでの政府の対応のずさんさ、RBMK型原子炉の欠陥、そして長年続いた経済政策の失敗を厳しく批判するものでした。メモには、原子炉の設計上の欠陥、ずさんな施工、オペレーターの訓練不足など、事故原因の詳細な分析が含まれていました。彼は原発幹部の発言「原発はサモワールのようなものだ」という軽率な発言を引用し、ソ連の原子力産業の危険性を訴えています。さらに、事故前のオペレーター間の会話記録を引用し、安全マニュアルの無視を指摘しています。

翌27日、レガソフは自宅で死亡しているのが発見されました。現場の状況から自殺と断定されましたが、事故後の彼の活動や、政府の圧力、そして放射線による健康被害を考慮すると、その死因には諸説あります。彼の告発メモは同年5月20日付けの「プラウダ」紙に掲載されました。

レガソフの功績は、死後も認められることはありませんでした。しかし、1996年、エリツィン大統領からロシア連邦英雄の称号が授与されました。2006年には、BBCがレガソフが残した録音テープを基にしたドキュメンタリー番組を制作しています。この番組は、レガソフがソ連政府の対応を批判する内容を中心に構成されていますが、彼の指摘は、西側諸国の原子力産業にも共通する問題点を浮き彫りにしていると言えます。レガソフの死は、チェルノブイリ事故の悲劇に加え、科学者の良心と体制との衝突という、もう一つの悲劇を象徴していると言えるでしょう。彼の遺した告発メモは、現代社会における原子力安全の重要性を改めて問いかける、重要な歴史的資料です。

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