ヴィルヘルム・フィッツェンハーゲン

ヴィルヘルム・フィッツェンハーゲン（Wilhelm Fitzenhagen, 1848年 - 1890年）は、19世紀後半に活動したドイツ生まれのチェリスト、作曲家、そして優れた教育者です。彼はその多才な音楽的才能と、ロシア、特にモスクワでの教育・演奏活動を通じて、当時の音楽界に大きな足跡を残しました。

生涯と初期教育

フィッツェンハーゲンは、ブラウンシュヴァイク公国（現在のドイツ、ニーダーザクセン州の一部）のゼーゼンという町で誕生しました。彼の父は地元の楽長を務めており、幼少期から音楽的な環境に恵まれていました。彼はわずか5歳でピアノ、チェロ、ヴァイオリンの基礎教育を受け始め、その才能の片鱗を見せました。また、必要に応じて管楽器の演奏も代行するなど、幅広い楽器に対応できる柔軟性も身につけていました。

チェロの専門的な学習は、14歳からテオドーレ・ミュラーに師事することによって本格化しました。その後、ドレスデンに移り、名チェリストであるフリードリヒ・グリュッツマッヒャーのもとで研鑽を積み、演奏家としての技術を磨き上げました。

キャリアの転機とモスクワでの活躍

フィッツェンハーゲンのキャリアにおける重要な転機は、1870年にヴァイマルで開催されたベートーヴェン音楽祭への出演でした。ここで彼は、ヴァイマル宮廷楽団の元楽長であり、当時のヨーロッパ音楽界に絶大な影響力を持っていたフランツ・リストの関心を惹きつけました。リストはフィッツェンハーゲンの才能を高く評価し、彼をヴァイマル宮廷楽団に招こうと説得を試みました。しかし、フィッツェンハーゲンは既にモスクワ音楽院からの教授職のオファーを受け入れており、リストからの誘いを受けることは叶いませんでした。

このモスクワ行きが、彼の生涯の最も充実した活動期となりました。モスクワ音楽院の教授として、フィッツェンハーゲンはロシアにおけるチェロ教育の発展に大きく貢献し、国内屈指のチェロ教師としての地位を確立しました。教育活動の傍ら、彼はロシア音楽協会のソリストに抜擢され、またロシア音楽・オーケストラ同盟の総裁という要職も担いました。これらの役職を通じて、彼はロシア国内で数多くの演奏会にソリストとして出演し、その卓越した演奏技術を披露しました。

チャイコフスキーとの関わりと作曲活動

フィッツェンハーゲンは、ロシア滞在中に多くの作曲家と交流を持ちましたが、中でもピョートル・イリイチ・チャイコフスキーとの関係は特筆されます。チャイコフスキーは、フィッツェンハーゲンのために有名な《ロココの主題による変奏曲》を作曲し、彼に献呈しました。しかし、フィッツェンハーゲンはこの作品の演奏にあたり、作曲者の同意を得ずに変奏の順番を変更し、さらに新たな変奏を追加するなど大幅な改変を行いました。チャイコフスキーはこの改変に不満を抱いていたとされますが、フィッツェンハーゲンによる変更版は当時の聴衆に好評を博し、現在に至るまでこの改変版で演奏される機会が多いことで、フィッツェンハーゲンの名は広く知られています。このエピソードは、彼の演奏家としての主観と、作曲家本来の意図との間でしばしば議論の対象となります。

作曲家としても、フィッツェンハーゲンは60曲以上のチェロ作品を残しました。これには、チェロ協奏曲が4曲、チェロと管弦楽のための組曲、弦楽四重奏曲などが含まれます。また、当時の演奏会で人気を博した多数のサロン小品も手掛けています。彼の弦楽四重奏曲は、サンクトペテルブルク室内楽連盟から高い評価を受け、表彰されるなど、作曲家としての才能も認められていました。

ヴィルヘルム・フィッツェンハーゲンは、ドイツで学んだ確かな技術と、ロシアで培った教育・演奏活動の経験を融合させ、チェロという楽器の可能性を追求し続けた音楽家でした。特にモスクワにおける彼の功績と、チャイコフスキー作品との特異な関わりは、彼の名を音楽史に留める重要な要素となっています。

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