一忠

一忠の生涯と影響

南北朝時代において、田楽法師として名を馳せた一忠（いっちゅう）は、非常に重要な存在でした。本名は不詳ですが、彼は田楽の名人であり、猿楽の発展にも大きく貢献したことで知られています。通称「石松」とも呼ばれ、彼の業績は当時の文化に大きな影響を与えました。世阿弥は彼のことを称賛し、彼を「此道の聖」と位置づけました。これは一忠の芸が極めて高かったことを示しています。

田楽とは何か

田楽は、元々は田植えを祝うための民間芸能でした。平安時代に唐から伝わる散楽的な要素を取り入れ、次第に発展を遂げたものです。猿楽と田楽は互いに影響し合い、やがて能の分野へと進化しました。特に南北朝時代には、田楽は猿楽を圧倒し、最盛期を迎えました。この期間には、京都や奈良に多くの役者たちが集まり、興行が盛んに行われていました。

一忠の評価と活動

一忠は田楽本座に所属し、非常に高い評価を受けていました。彼は1349年、特に注目を集める大規模な勧進田楽に参加しました。これは京四条橋の建設資金を集めるための興行で、観衆には将軍である足利尊氏や関白の二条良基も訪れていました。このイベントではアクロバティックな技術が話題となりましたが、観客席の桟敷が倒壊する事故が起こり、「桟敷崩れの能」として有名です。

一忠はこの興行でトップバッターとして出演し、新座の花夜叉と「恋の立合」という曲を舞いました。この「立合」は、対応する役者が同じ曲を競い合う形式で、彼の卓越した演技が強調される機会でした。その進行中、見せ場である「恨みは末も通らねば……」の台詞に差し掛かると、一忠は突然咳払いをし、扇を持ち直して汗を拭く行動に出ました。これが花夜叉のテンポを崩し、彼は重要な台詞を言い損なう結果となり、大きな恥をかかせてしまいました。この出来事は後の世阿弥の作品にも見られ、立合の緊張感や役者同士の真剣勝負が強調されています。

後世への影響

一忠の影響は非常に広範囲でした。観阿弥は彼を「わが風体の師」と崇拝し、世阿弥にも大きな影響を与えました。さらに近江猿楽の犬王（道阿弥）も、彼から多くを学んだとされています。このように、猿楽と田楽の枠を超えた名人として評価を受けていたことが分かります。

特に世阿弥は、一忠の素晴らしい技を幼少期から耳にし、深い尊敬を抱いていました。そのため、彼は度々一忠の言及を行い、彼を「当道の先祖」として位置付けました。一忠の芸は能の発展にも寄与し、彼がなし得たことは後世の演劇文化においても重視されています。文和3年（1354年）5月、一忠はその生涯を閉じましたが、多くの後進に影響を与え続けています。

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