不安と魂

『不安は魂を食いつくす』は、ヌーヴェル・ヴァーグ以降のドイツ映画を牽引したライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが1974年に手掛けた重要な作品です。原題はドイツ語でAngst essen Seele auf、英語ではAli: Fear Eats the Soulと呼ばれ、ドイツ語の原題は劇中のセリフに由来していますが、文法的な誤りを含む形があえて採用されています。日本では『不安と魂』という別邦題も存在します。

この映画は、清掃員として働く高齢のドイツ人女性と、彼女より大幅に若いモロッコ人移民男性との間に芽生える愛情とその苦難を描いています。社会の厳しい現実、特に外国人に対する根強い差別や偏見が、二人の関係に影を落としていきます。作品は国際的に高い評価を受け、第27回カンヌ国際映画祭では、国際映画批評家連盟賞と第1回エキュメニカル審査員賞を同時に受賞するという快挙を成し遂げました。これらの受賞により、ファスビンダー監督の名前は世界的に知られるようになり、本作は彼の代表作の一つに数えられています。主演を務めたブリギッテ・ミラも、その演技でドイツ映画賞の主演女優賞を獲得しています。

あらすじ

物語の主人公は、ミュンヘンで清掃婦として質素に一人暮らしをする60代半ばの女性、エミ・クロウスキーです。ある雨の日、雨宿りのために立ち寄ったアラブ系の人々が多く集まるバーで、エミはモロッコからの若い自動車整備工、アリと出会います。年齢差は20歳以上。当初は戸惑いながらも、共にダンスを踊り、会話を重ねるうちに意気投合した二人は、急速に惹かれ合い、共に暮らし始め、やがて結婚に至ります。

しかし、外国人、特にアラブ系の人々に対する偏見が強い社会の中で、エミとアリの結婚は周囲からの猛烈な反発を招きます。近隣住民、エミの職場の同僚、そして実の家族までもが、二人の関係を認めようとせず、露骨な差別や偏見に満ちた言動を繰り返します。エミは愛するアリを守ろうと懸命に対抗し、アリもそうした非難に対して寛容な態度で接しようと努めます。一時は周囲の冷たい視線にも負けず、ささやかながら幸せな日々を送っていた二人でしたが、ある日、エミが不用意にアリの心を深く傷つける言葉を口にしてしまいます。これをきっかけに、アリは家を出て行ってしまいます。

アリの不在に打ちひしがれるエミは、二人にとって思い出の場所である、最初に出会ったバーへと向かいます。そこで、初めて一緒に踊った時に流れていた曲をかけます。やがてアリが現れ、二人は再会を果たし、再びその曲に合わせてダンスを踊り始めます。しかし、感動的な再会の最中、突然アリが激しい腹痛に襲われ、倒れてしまいます。病院に運ばれたアリは、医師から日常的に浴び続けた人種差別による極度のストレスが原因で胃潰瘍を患っていると診断されます。エミは病室のベッドに横たわるアリに寄り添い、静かに看病を続けるのでした。

製作と背景

本作は、非常に低予算でわずか15日間という短期間で撮影されました。多くの主要キャストは、ファスビンダー作品の常連俳優たちで構成されています。アリを演じたエル・エディ・ベン・サラムは、撮影当時ファスビンダーのパートナーでもありました。彼は後に事件を起こしてフランスへ逃亡し、1977年に獄中で自殺したとされています。サラムの悲劇的な死を知ったファスビンダーは、彼の最後の監督作品である『ケレル』（1982年）を彼に捧げています。

他作品との関連

ファスビンダーは、アメリカのメロドラマ巨匠ダグラス・サーク監督を深く敬愛しており、本作は特にサークの『天はすべて許し給う』（1955年）と『悲しみは空の彼方に』（1959年）へのオマージュとして制作されました。これらの作品が持つ、社会の抑圧と個人の感情の対立を描く手法は、本作にも色濃く反映されています。また、後にトッド・ヘインズ監督が手掛けた『エデンより彼方に』（2002年）も、本作と『天はすべて許し給う』に敬意を表して作られた作品であることが、監督自身の言葉によって語られています。

主なスタッフ・キャスト

監督・製作・脚本・音楽: ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
撮影: ユルゲン・ユルゲス
編集: テア・アイメス
エミ・クロウスキー: ブリギッテ・ミラ
アリ: エル・エディ・ベン・サラム
バーバラ: バーバラ・バレンティン
クリスタ: イルム・ヘルマン
オイゲン: ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー

本作は、ファスビンダーが社会の不寛容や差別といったテーマを扱った作品群の中でも特に力強く、感情に訴えかける傑作として、現在も多くの人々に観られています。

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