不耕起栽培
不耕起栽培（ふこうきさいばい、英語: Nontillage cultivation, No-till farming）は、農地を物理的に耕す作業を行わずに作物を育てる栽培方法です。これは、従来の農業における基本的な工程である耕起を見直し、土壌の自然な状態を保つことで、より持続可能な農業生産を目指す技術として注目されています。
不耕起栽培の考え方が近代農業において改めて提起されたのは、1943年にアメリカの農業研究者エドワード・フォークナーが著した『農夫の愚行』（Plowman's Folly）が出版されてからです。この中でフォークナーは、長年当然とされてきた耕起が、実際には土壌構造を破壊するだけで、むしろ土壌の質を低下させる無益な行為であると指摘しました。そして、土壌表面に有機物を混ぜ込むだけで、健全で肥沃な土壌は維持できると提唱しました。
また、ランド研究所のウェス・ジャクソンは、土を耕すことは生態学的に大きな悪影響を及ぼすと述べ、耕起に依存する現代農業は持続可能性が証明されていないと警告しました。こうした研究や、特定の除草剤に耐性を持つ遺伝子組み換え作物の開発、さらには有機農法の手法確立などを背景に、全く耕さない完全な不耕起栽培や、土壌表面の少なくとも30パーセントを作物残渣で覆う保全耕耘といった手法が、特に北米の農家を中心に急速に普及しました。
20世紀前半から中頃にかけて、目先の効率を優先した過度な耕起栽培が世界的に拡大した結果、地球規模での土壌劣化（ランド・デグラデーション）が深刻化しました。地表から数十センチメートルの深さに存在する、微生物が豊富で農業にとって最も有用な表土が、風や雨によって失われる事態が頻発しました。一度失われた表土を再生することは極めて困難であり、結果として農地として利用できなくなる荒れ地が世界中で増え続けています。
北米では、1960年代にはほぼ全ての耕地で耕起が行われていましたが、不耕起栽培への移行が進みました。カナダでは、1991年には33パーセントだった不耕起栽培・保全耕耘の採用率が、2001年には60パーセントの農場に達しました。アメリカ合衆国でも、2004年には全農地の41パーセントで保全耕耘、23パーセントで不耕起栽培が実施され、2010年にはアメリカの農地の60パーセントが不耕起栽培になると予測されていました。
しかし、現在のところ、地球全体の農地のうち不耕起栽培が行われているのはわずか5パーセント程度に過ぎません。このまま耕起栽培が中心であり続ければ、今後数十年で主要な農地の大部分が土壌劣化によって失われ、人類が深刻な食糧危機に直面する危険性が指摘されています。なお、海外の畑作における不耕起栽培と、日本の「無農薬稲作・畑作」における不耕起栽培は、その技術的な仕組みや背景が異なる点に留意が必要です。
不耕起栽培は、土壌の健全性を維持し、持続可能な農業に貢献する多くの利点を持っています。
土壌劣化の抑制: 耕起による表土の流出を防ぎ、土地劣化（ランド・デグラデーション）の進行を阻止します。地表の作物残渣が土壌を覆い、風雨による浸食を緩和します。
土壌構造の維持: 土中に作物の根が残した根穴構造が維持されることで、土壌の通気性や排水性が高まります。また、保水性も向上するため、干ばつや長雨など異常気象への耐性が増します。
作物の根の生育促進: 耕されていない硬い土壌を根が突破しようとする過程で、作物の植物ホルモンが活性化され、より強く太い根が形成されます。これにより、地上部の茎も丈夫に育ちます。
土壌生物多様性の向上: 土壌を撹拌しないことで、ミミズや昆虫、様々な微生物などの土壌生物の多様性が豊かになります。これにより、特定の病害虫が異常発生するのを抑制する自然のメカニズムが働きやすくなります。
省力化: 耕耘作業が不要になるため、農業にかかる労働時間や燃料コストを削減できます。これにより、農作業全体の効率化が図れます。
不耕起栽培には多くの利点がある一方で、いくつかの課題や欠点も存在します。
病害リスクの可能性: 一部の土壌伝染性の病気に関しては、耕さないことで病原体が土中に残りやすく、病気が蔓延しやすいケースがあります。ただし、病気によっては耕起が逆に病原体を拡散させることもあるため、一概には言えません。
養分分布の偏り: 作物残渣や有機物が地表近くに蓄積するため、土壌の養分が表層に集中しやすい傾向があります。これにより、作物の根が地表近くに多く分布し、特にひげ根型の作物では、干ばつ時に深層部の水分を利用しにくくなる可能性が指摘されています。主根型の作物は比較的影響を受けにくいとされます。
雑草対策の必要性: 耕耘には、雑草の種子を土壌深部に移動させたり、根を切断したりすることで雑草を抑制する効果があります。不耕起ではこの効果が得られないため、他の方法（マルチ、草刈り、除草剤の使用など）で雑草を管理する必要があります。一方で、耕起が土壌深部の雑草種子を地表に運び上げ、かえって発芽を促すという側面もあります。
不耕起栽培は、その思想や技術によっていくつかの異なる手法があります。
自然農: 川口由一氏が提唱する、不耕起、不施肥、無農薬を基本とする農法です。土中の微生物や雑草の根などが持つ力を活かし、土壌の栄養循環を自然に行わせることで、外部からの肥料や農薬に頼らない農業を目指します。
遺伝子組み換え作物を利用した手法: 非選択性除草剤（特定の種類の植物全てを枯らす除草剤）と、その除草剤に耐性を持つように遺伝子を組み換えられた作物を組み合わせて行われます。北米や南米で広く行われており、除草剤散布によって耕耘なしに雑草を管理し、土壌流出を防ぐ効果が期待されています。
* 無農薬水田不耕起移植栽培: 千葉県の岩澤信夫氏が開発した、水田における不耕起栽培技術です。水田を耕さないことで、多様な生き物が生息できる環境が再生され、これらの生物の活動によって土壌が自然に肥沃化される仕組みを利用します。化学肥料や農薬を使わない循環型の農法で、現在のところ主に水田で有効とされています。
不耕起栽培は、単に土を耕さないという行為にとどまらず、土壌生態系や環境との調和を重視する持続可能な農業の重要な柱の一つです。その普及と発展は、地球の土壌資源を守り、将来世代に安定した食糧供給を続けるために不可欠な取り組みと言えます。
歴史的背景
不耕起栽培の考え方が近代農業において改めて提起されたのは、1943年にアメリカの農業研究者エドワード・フォークナーが著した『農夫の愚行』（Plowman's Folly）が出版されてからです。この中でフォークナーは、長年当然とされてきた耕起が、実際には土壌構造を破壊するだけで、むしろ土壌の質を低下させる無益な行為であると指摘しました。そして、土壌表面に有機物を混ぜ込むだけで、健全で肥沃な土壌は維持できると提唱しました。
また、ランド研究所のウェス・ジャクソンは、土を耕すことは生態学的に大きな悪影響を及ぼすと述べ、耕起に依存する現代農業は持続可能性が証明されていないと警告しました。こうした研究や、特定の除草剤に耐性を持つ遺伝子組み換え作物の開発、さらには有機農法の手法確立などを背景に、全く耕さない完全な不耕起栽培や、土壌表面の少なくとも30パーセントを作物残渣で覆う保全耕耘といった手法が、特に北米の農家を中心に急速に普及しました。
20世紀前半から中頃にかけて、目先の効率を優先した過度な耕起栽培が世界的に拡大した結果、地球規模での土壌劣化（ランド・デグラデーション）が深刻化しました。地表から数十センチメートルの深さに存在する、微生物が豊富で農業にとって最も有用な表土が、風や雨によって失われる事態が頻発しました。一度失われた表土を再生することは極めて困難であり、結果として農地として利用できなくなる荒れ地が世界中で増え続けています。
北米では、1960年代にはほぼ全ての耕地で耕起が行われていましたが、不耕起栽培への移行が進みました。カナダでは、1991年には33パーセントだった不耕起栽培・保全耕耘の採用率が、2001年には60パーセントの農場に達しました。アメリカ合衆国でも、2004年には全農地の41パーセントで保全耕耘、23パーセントで不耕起栽培が実施され、2010年にはアメリカの農地の60パーセントが不耕起栽培になると予測されていました。
しかし、現在のところ、地球全体の農地のうち不耕起栽培が行われているのはわずか5パーセント程度に過ぎません。このまま耕起栽培が中心であり続ければ、今後数十年で主要な農地の大部分が土壌劣化によって失われ、人類が深刻な食糧危機に直面する危険性が指摘されています。なお、海外の畑作における不耕起栽培と、日本の「無農薬稲作・畑作」における不耕起栽培は、その技術的な仕組みや背景が異なる点に留意が必要です。
利点
不耕起栽培は、土壌の健全性を維持し、持続可能な農業に貢献する多くの利点を持っています。
土壌劣化の抑制: 耕起による表土の流出を防ぎ、土地劣化（ランド・デグラデーション）の進行を阻止します。地表の作物残渣が土壌を覆い、風雨による浸食を緩和します。
土壌構造の維持: 土中に作物の根が残した根穴構造が維持されることで、土壌の通気性や排水性が高まります。また、保水性も向上するため、干ばつや長雨など異常気象への耐性が増します。
作物の根の生育促進: 耕されていない硬い土壌を根が突破しようとする過程で、作物の植物ホルモンが活性化され、より強く太い根が形成されます。これにより、地上部の茎も丈夫に育ちます。
土壌生物多様性の向上: 土壌を撹拌しないことで、ミミズや昆虫、様々な微生物などの土壌生物の多様性が豊かになります。これにより、特定の病害虫が異常発生するのを抑制する自然のメカニズムが働きやすくなります。
省力化: 耕耘作業が不要になるため、農業にかかる労働時間や燃料コストを削減できます。これにより、農作業全体の効率化が図れます。
課題と欠点
不耕起栽培には多くの利点がある一方で、いくつかの課題や欠点も存在します。
病害リスクの可能性: 一部の土壌伝染性の病気に関しては、耕さないことで病原体が土中に残りやすく、病気が蔓延しやすいケースがあります。ただし、病気によっては耕起が逆に病原体を拡散させることもあるため、一概には言えません。
養分分布の偏り: 作物残渣や有機物が地表近くに蓄積するため、土壌の養分が表層に集中しやすい傾向があります。これにより、作物の根が地表近くに多く分布し、特にひげ根型の作物では、干ばつ時に深層部の水分を利用しにくくなる可能性が指摘されています。主根型の作物は比較的影響を受けにくいとされます。
雑草対策の必要性: 耕耘には、雑草の種子を土壌深部に移動させたり、根を切断したりすることで雑草を抑制する効果があります。不耕起ではこの効果が得られないため、他の方法（マルチ、草刈り、除草剤の使用など）で雑草を管理する必要があります。一方で、耕起が土壌深部の雑草種子を地表に運び上げ、かえって発芽を促すという側面もあります。
主な実現手法
不耕起栽培は、その思想や技術によっていくつかの異なる手法があります。
自然農: 川口由一氏が提唱する、不耕起、不施肥、無農薬を基本とする農法です。土中の微生物や雑草の根などが持つ力を活かし、土壌の栄養循環を自然に行わせることで、外部からの肥料や農薬に頼らない農業を目指します。
遺伝子組み換え作物を利用した手法: 非選択性除草剤（特定の種類の植物全てを枯らす除草剤）と、その除草剤に耐性を持つように遺伝子を組み換えられた作物を組み合わせて行われます。北米や南米で広く行われており、除草剤散布によって耕耘なしに雑草を管理し、土壌流出を防ぐ効果が期待されています。
* 無農薬水田不耕起移植栽培: 千葉県の岩澤信夫氏が開発した、水田における不耕起栽培技術です。水田を耕さないことで、多様な生き物が生息できる環境が再生され、これらの生物の活動によって土壌が自然に肥沃化される仕組みを利用します。化学肥料や農薬を使わない循環型の農法で、現在のところ主に水田で有効とされています。
不耕起栽培は、単に土を耕さないという行為にとどまらず、土壌生態系や環境との調和を重視する持続可能な農業の重要な柱の一つです。その普及と発展は、地球の土壌資源を守り、将来世代に安定した食糧供給を続けるために不可欠な取り組みと言えます。
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