交尾 (小説)

梶井基次郎『交尾』解説

『交尾』は、梶井基次郎が晩年に発表した短編小説です。病に侵され死を意識する中、生の輝きや美しさを求めた作者の心情が、美しい情景描写を通して表現されています。この作品は「その一」「その二」から構成されており、未完の「その三」が存在します。

作品概要

発表と背景

『交尾』は、1931年に同人誌『作品』に発表され、後に作品集『檸檬』に収録されました。作者自身の体験に基づいた描写が特徴で、「その一」は大阪阿倍野の実家、「その二」は伊豆湯ヶ島での体験が元になっています。当時の社会情勢や作者の個人的な状況が、作品に深く影響を与えています。

あらすじ

その一

病を患う「私」が、夜の物干し場から見下ろす路地で、2匹の猫が抱き合っているのを目撃します。それは通常の交尾とは異なり、柔らかく噛み合い、前肢で支え合う姿でした。「私」はその光景に男女の痴態を連想し、不思議な艶かしさを感じます。そこへ夜警が現れ、猫たちを追い払います。夜警の行動を観察する「私」は、自身の存在を意識しながら、生と死、そして社会との関わりについて考えを巡らせます。

その二

「私」は渓流で河鹿の求愛行動を観察します。河鹿に気づかれないよう石のように身を潜め、その可憐な姿を観察する「私」は、河鹿の世界に入り込んだかのような感覚を覚えます。かつて河鹿を捕まえ観察しようとしたことがあったものの、自然な状態を観察することの難しさを知った「私」は、河鹿を自然に帰します。ある日、街道まで聞こえる河鹿の声に誘われ再び渓流へ向かうと、雄が雌に向かって求愛する姿を目撃します。その姿に「私」は、生命の力強さ、ひいては生への肯定的な感情を見出します。

その三 (遺稿)

堺の水族館で目にしたすっぽんの交尾を題材にしています。他者の存在を意識しながら交尾を観察する「私」の姿が描かれています。

作品の魅力と解釈

生と死の狭間

『交尾』は、死を意識した作者が、生への執着や郷愁を表現した作品です。病に侵され、死が近づいていることを自覚しながらも、猫や河鹿の生命力に触れることで、生きることの美しさや喜びを再認識しようとしています。

自然との一体感

作品全体を通して、自然との一体感が重要なテーマとなっています。「私」は、猫や河鹿を観察することで、自然の一部としての自己を感じ、生の根源的な力に触れようとしています。自然の美しさや生命の営みが、死への恐怖を和らげ、生きる希望を与えています。

視線と観察

「見る」という行為も重要な要素です。「私」は、猫や河鹿を観察することで、自己の存在を認識し、世界との関わりを深めています。しかし、観察されることを意識することで、自己の存在が相対化され、社会との関係性も意識されます。この複雑な視線の構造が、作品に深みを与えています。

未完の美

「その三」が未完であることは、この作品の魅力をさらに高めています。作者がどのような結末を描こうとしていたのか、読者の想像力を掻き立てます。未完であるからこそ、作品は永遠に解釈され続け、新たな意味を発見される可能性を秘めています。

まとめ

梶井基次郎の『交尾』は、死を前にした作者の生の探求を描いた、美しくも切ない短編小説です。自然との一体感、視線の構造、そして未完の美が、この作品を特別なものにしています。読者は、作者の心情に寄り添いながら、生と死、そして自己の存在について深く考えさせられるでしょう。

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