保坂本源氏物語

保坂本源氏物語：貴重な別本系統の源氏物語写本

保坂本源氏物語は、東京国立博物館に所蔵されている『源氏物語』の写本です。重要文化財に指定されており、その学術的価値は非常に高いものとなっています。この写本は、昭和10年（1935年）に保阪潤治氏の所蔵として公にされたことから、「保坂本」と呼ばれています。

写本の概要

保坂本は、全54帖からなる『源氏物語』のうち「浮舟」を欠いた53帖が現存しています。その内容は、複数の系統の本文が混在する特徴的な構成となっています。具体的には、鎌倉時代の書写と推定される「松風」以降の36帖は、主に別本系統に属します。一方、「桐壺」から「絵合」までの17帖は、室町時代中期の青表紙本系統による補写と考えられています。

保坂本は、別本系統の本文を数多く含む点で、陽明文庫本に次ぐ重要性を有する写本であると評価されています。各系統の帖数の割合については若干の異論も存在しますが、その価値は揺るぎないものと言えるでしょう。

伝来

保坂本の伝来は、江戸時代後期に遡ります。寛政の改革で知られる白河藩主（のち桑名藩主）の松平定信が所有していた記録が残っています。松平定信は『源氏物語』愛好家として知られ、生涯に7回も全巻を書写したほか、巻名歌を詠んだり、本居宣長の注釈を批判するなど、深い関与を示す記録が残っています。

松平定信の死後も桑名松平家に伝来したと見られますが、昭和時代になって売却され、竹内文平氏の仲介を経て、昭和10年に保阪潤治氏が購入しました。保阪氏は古文書・古書籍収集家として知られ、当時池田亀鑑氏が行っていた『源氏物語』の校本作成事業にも協力していました。保阪氏が保坂本を入手したことで、この写本は池田氏の校本作成（後に『校異源氏物語』として刊行）に貴重な資料として用いられることになりました。

戦後、保阪氏は財産を失い、保坂本も売却されました。その後、一誠堂書店を経て、昭和58年（1983年）に文化庁が購入し、現在に至るまで東京国立博物館で所蔵されています。

写本の状況と本文

保坂本は、「浮舟」を除く53帖が黒漆塗の外箱に収められています。外箱には「松平本 源氏物語」と書かれた紙が貼られています。

本文は、陽明文庫本、国冬本、阿里莫本、麦生本など、著名な別本系統の写本と並び称される重要な資料です。「松風」以降の36帖は、2帖を除いてすべて別本系統に属し、これほど多くの別本がまとまっている写本は、保坂本が第一と評されています。

校本への採用と影印本

保坂本の本文は、『校異源氏物語』や『源氏物語大成』（校異編）で校合本文として採用されています。特に『源氏物語別本集成』では、陽明文庫本が別本と判断されなかった巻において、保坂本が底本として用いられています。

さらに、『CD-ROM 角川古典大観 源氏物語』では、大島本、尾州家河内本、陽明文庫本と共に、保坂本本文の電子データが収録されており、四つの写本の本文を同時に比較できるようになっています。

1995年から1997年にかけては、伊井春樹、伊藤鉃也、中村一夫らの研究に基づく影印本が刊行されました。全53帖（「浮舟」を除く）が1帖ごとに1冊として、2～6帖を1巻として箱に収められています。最終巻には、江戸初期の東京大学本の「浮舟」と、写本の伝来や現状を説明する解題が収録されています。

保坂本源氏物語は、その歴史的背景、本文の価値、そして影印本の刊行などから、現代の『源氏物語』研究において重要な位置を占める写本であると言えるでしょう。

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