健康生成論

健康生成論（Salutogenesis）とは

健康生成論は、医療社会学者のアーロン・アントノフスキーによって提唱された概念です。これは、病気の原因を探るのではなく、人間の健康とウェルビーイングを支える要因に焦点を当てたアプローチを指します。特に、健康生成モデルは、健康、ストレス、ストレスコーピングと密接に関連しています。

アントノフスキーの理論は、従来の医療モデルが健康と疾病を二分して捉えるのに対し、両者を連続的な変数として捉える点に特徴があります。彼はこの概念を「health-ease vs dis-ease モデル」と表現しました。

健康生成論の発見

「Salutogenesis」という言葉は、ラテン語の「salus」（健康）とギリシャ語の「genesis」（起源）を組み合わせた造語です。アントノフスキーは、「人々はどのようにストレスを管理し、うまくやっていけるのか」という問いからこの概念を発展させました。

彼は、ストレスは普遍的に存在するものの、すべての人がストレスによって健康を害するわけではないという事実に着目しました。一部の人々は、潜在的に有害なストレスにさらされ続けても、健康を維持することができるのです。

1979年に出版された著書『健康、ストレス、対処』で、アントノフスキーは、人生で最も悲惨な経験をした人々がどのようにして生き残り、適応し、克服したのかを調査しました。また、1987年の著書『健康の神秘を解き明かす』では、女性と加齢に焦点を当てた研究を行いました。彼は、ナチスの強制収容所を生き延びた女性の29%が、対照群の51%と比較して、精神的に健康な状態を保っていたことを発見しました。この発見は、ストレスにさらされても精神的に病まない人々がいることを示唆しています。

アントノフスキーは、この経験から「私が意識的に『健康生成論』と呼ぶものを定式化するに至った」と述べています。

健康生成理論では、人は常に困難にさらされ、それと闘っていると捉えます。このような外部からの圧力は、一般的な資源障害（Generalized Resource Deficits, GRDs）と呼ばれます。一方、一般的な抵抗性資源（Generalized Resistance Resources, GRRs）とは、人が心理社会的なストレッサーに対処し、回避、撲滅するのに役立つすべての資源を指します。例えば、お金、自己肯定感、社会的支援などがGRRsとして挙げられます。

GRDが大きく、現在の状況を乗り越えるだけの首尾一貫感覚（SOC）が十分に備わっていない場合、コーピングメカニズムは失敗に終わり、病気を引き起こしたり、時には死に至ることもあります。一方で、SOCが高い場合には、ストレス要因が必ずしも有害とは限りません。つまり、因子が病原性、中立、有益性のいずれになるかは、GRDとSOCのバランスによって決定されるのです。

アントノフスキーは、GRRによって個人がイベントを知覚し、管理することが可能になると考えました。彼は、長年にわたってさまざまな資源を有効に活用することで得られる肯定的な経験は、「個人のストレスコーピングにおいて不可欠なツール」であると主張しています。

首尾一貫感覚（Sense of Coherence, SOC）

首尾一貫感覚（SOC）とは、ストレスが人間の機能に与える影響を説明するための中心的な概念です。アントノフスキーは、ストレスが人を傷つけるかどうかは、特定のストレス要因に遭遇する可能性よりも、その出来事に対する個人の認識や対応、つまりストレスが自分の感覚に反するかどうかによって決まると考えました。

SOCは、以下の3つの要素から構成されます。

1. 把握可能感（Comprehensibility）: 日常生活における出来事は、構造化され、予測可能であり、説明可能であるという感覚。
2. 処理可能感（Manageability）: 刺激によって生じるニーズを満たすためのリソースが利用可能であり、出来事を管理できるという感覚。
3. 有意味感（Meaningfulness）: これらのニーズへの取り組みは、投資する価値があり、関与していくにふさわしい課題であるという感覚。

アントノフスキーは、この3つの要素の中で「有意味感」が最も重要であると述べています。人が生きる意味や価値を見出せない場合、出来事を理解し、管理しようとする動機が生まれないからです。彼が主張する本質は、人が「首尾一貫感覚（SOC）」を強く感じることが、健康を維持するために重要であるということです。彼の研究では、SOCが高いと健康状態が良好になることが示されています。

健康生成論の応用分野

健康生成論は、健康心理学、行動療法、健康社会学といった分野で研究されています。近年では、医療や予防医学の分野でも注目されており、看護のアプローチ、精神医学、医療建築など、さまざまな分野で応用されています。

また、健康生成論は、緊急医療など、迅速な意思決定が求められる場面でも活用されています。

職場における応用

SOCの3つの要素は、職場環境にも適用できます。

有意味感：仕事への意欲や意義、参加意識と関連します。また、従業員が自分の仕事や作業プロセスに関する意思決定を行う権限を持つジョブ管理や、仕事の意義そのものと密接に関連しています。
処理可能感：仕事の管理だけでなく、必要な資源へのアクセスとも関連があります。さらに、社会的なスキルや信頼関係とも結びついていると考えられています。
把握可能感：職場における一貫したフィードバック、例えば人事評価などによって影響を受ける可能性があります。

これらの要素を職場環境で高めることで、従業員の健康とウェルビーイングを向上させることができます。

関連項目

ストレス管理
ストレス脆弱性モデル
公衆衛生
健康の社会的決定要因
セルフケア不足看護理論

参考資料

Becker, C. M., Glascoff, M. A., & Felts, W. M. (2010). "Salutogenesis 30 Years Later: Where do we go from here?" International Electronic Journal of Health Education, 13, 25-32.
Studying Health vs. Studying Disease - Aaron Antonovsky. Lecture at the Congress for Clinical Psychology and Psychotherapy, Berlin, 19 February 1990.
Coping with Existential Threats and the Inevitability of Asking for Meaningfulness - Peter Novak.
Start Making Sense; Applying a salutogenic model to architectural design for psychiatric care - Jan Golembiewski.
Salutogenesis - Bengt Lindström, "Salutogenesis – an introduction"
Golembiewski, J. (2012). "Salutogenic design: The neural basis for health promoting environments." World Health Design Scientific Review 5(4): 62-68.
Mayer, C.-H. & Krause, C. (Eds.)(2012): Exploring Mental Health: Theoretical and Empirical Discourses on Salutogenesis. Pabst Science Publishers.
The Handbook of Salutogenesis Editors: Mittelmark, M.B., Sagy, S., Eriksson, M., Bauer, G., Pelikan, J.M., Lindström, B., Espnes, G.A. (Eds.)

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