八十川胖

八十川 胖（やそがわ ゆたか）は、1909年6月28日に生まれ、1990年3月17日にその生涯を閉じた、日本の野球界において選手、そして指導者として重要な足跡を残した人物です。広島県の出身。

氏の野球人生は、広島の広陵中学時代に華々しい輝きを見せました。独特な横手投げの投法を駆使し、捕手の小川年安氏とバッテリーを組んで全国の舞台で活躍。特に1927年の夏の甲子園大会では、準決勝まで勝ち進み、決勝進出を果たします。この大会の初戦となった敦賀商業との一戦では、見事な投球で大会史上二人目となるノーヒットノーランを達成するという偉業を成し遂げました。準決勝では延長14回という長丁場を一人で投げ抜く力投を見せましたが、迎えた決勝戦では高松商業に力尽き、無念の敗退。広陵中学はこの年の春の大会でも準優勝しており、春夏連続で決勝の舞台に立ちながらも優勝には届きませんでした。翌年も春夏連続で甲子園の土を踏みましたが、いずれも初戦で涙を呑んでいます。

中学卒業後、八十川氏は明治大学へと進学。ここでも主力投手として活躍しましたが、大学野球史に残る有名な出来事の当事者となります。1931年5月18日に行われた試合中、氏の牽制球の動作を巡る判定が発端となり、スタンドの応援団がグラウンドに乱入し暴行騒ぎへと発展するという事態が発生しました。この一件は「八十川ボーク事件」として広く知られることとなります。事件後、当時の監督であった岡田源三郎氏から「余計な発言は慎むように」と箝口令を敷かれ、八十川氏は合宿所の自室に鍵をかけて報道陣との接触を避けていました。しかし、ある日、梯子を使って部屋に入り込んできた記者がいたといいます。その記者は「どうしても真相を聞かせてほしい」と粘り強く求め、八十川氏は「監督の許可が得られたら、真っ先にあなたに話そう」と約束して引き取ってもらいました。この記者が、後に日刊スポーツの初代社長となる秋山慶幸氏でした。八十川氏が約束通り事件の真相を語ると、秋山氏は深く感謝し、この出来事がきっかけで二人の間に親交が生まれます。大学の監督を辞めた後、八十川氏が秋山氏と共に日刊スポーツ社で働いた時期があったと伝えられています。

戦後の混乱期を迎えた1946年秋、八十川氏は明治大学野球部の監督に就任しました。当時の世情にあって、周囲からは「最も教師タイプで指導者として適任である」と推され、チームの再建に力を尽くしました。その後、島岡吉郎氏が監督に就任する前の1951年にも再びチームの指揮を執っています。

指導者としての八十川氏の功績として特筆すべきは、後に「フォークボールの神様」と呼ばれることになる杉下茂氏の育成に関わったエピソードです。杉下氏が明大に入学した当初、長身であったことから一塁手として起用されていましたが、当時の監督だった八十川氏が彼に投手への転向を命じました。その際、「横手投げができるのならば、上からも下からも、あらゆる角度から投げられるようになりなさい」と独特な指導を行ったといいます。杉下氏は指示に従い、上から、横から、下からと、文字通り吐くほど投げ込み、その結果肩を痛めてしまったという壮絶なエピソードが残されています。しかし、この過酷な練習を通じて、杉下氏は様々な変化球を習得する基礎を築くことになります。そして、ある日、チームメイトにナックルボールを教えていたところ、それを見ていた天知俊一監督が閃き、当時アメリカで一部の投手が投じていたフォークボールについて言及。「君の大きな手ならフォークボールが投げられるのではないか」と教えられたことが、杉下氏がフォークボールを習得する決定的な契機となったと言われています。八十川氏の独特な指導が、間接的ではありますが、日本の野球史に名を刻むフォークボール投手の誕生へと繋がったのです。

八十川胖氏は、波乱に満ちた選手時代、そして戦後の混乱期における指導者としての役割、さらには著名な野球選手やメディア関係者との深い繋がりを通じて、日本の野球界においてその存在感を放ち続けました。

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