内藤克俊

1895年（明治28年）、広島市に生まれた内藤克俊は、日本のスポーツ史において重要な足跡を残した人物である。1924年パリオリンピックで、日本代表として唯一のメダル（レスリング銅）を獲得したことで、当時ほとんど知られていなかったレスリングという競技を日本に紹介し、「日本レスリングの父」と称される。その後、ブラジルに移住し、柔道の普及と日系移民社会の発展に尽力するなど、国内外でパイオニアとしての人生を歩んだ。

幼少期から米国へ

内藤は生後まもなく父を、幼少期に母を失うという厳しい幼少期を過ごした。台湾に嫁いだ長姉のもとに身を寄せ、寂しさを紛らわせるために姉の勧めで柔道を始める。台北第一中学校、そして鹿児島高等農林学校（現・鹿児島大学農学部）と進学し、柔道に打ち込んだ。特に鹿児島では自ら柔道部などを創設するなど、その行動力は際立っていた。過度な練習で健康を損ね、志望していた陸軍士官学校への道を断念するという挫折も経験したが、健康を回復し学業に戻る。1919年、開拓者精神に燃えて単身アメリカへ渡った。ペンシルベニア州立大学に編入し、園芸学を学びながら、柔道に似たレスリングと出会う。持ち前の運動能力と弛まぬ努力で才能を開花させ、大学5年時にはレスリング部のキャプテンを務め、全米学生チャンピオンにも輝いた。その実力と人柄から「タイガー内藤」と呼ばれ、排日感情が強い時代にもかかわらず、周囲からの厚い信頼を得た。

パリオリンピックでの孤高の戦い

1924年、アメリカで排日移民法が成立し、内藤は米国代表として国際試合に出場する道を断たれた。しかし、彼を高く評価していたペンシルベニア州選出のデービッド・アイケン・リード上院議員の異例の推薦がきっかけとなり、日本政府は内藤を日本代表としてパリオリンピックへ派遣することを決定する。渡航費も政府が負担するという異例の対応だった。当時の日本ではレスリングはほとんど無名の競技であり、オリンピック競技としての認知度も低かったため、内藤は日本からただ一人、孤立無援の状態で未知の舞台に挑むことになった。大会前から手の指を負傷するなど、満身創痍の状態だったが、他の日本人選手の途中棄権を知り、祖国や応援してくれる人々への思いから、壮絶な覚悟でリングに上がり続けた。激闘の末、フリースタイルで日本レスリング史上初となる銅メダルを獲得するという歴史的快挙を成し遂げた。この功績は、日本スポーツ界にレスリングという競技の存在を知らしめる大きな契機となった。

ブラジルへの移住と貢献

パリオリンピックでのメダル獲得後、内藤は帰国して日本各地で歓迎を受けた。柔道家の石黒敬七と共に日本初のレスリング講習会を開くなど、精力的に普及に努めた。しかし、当時の柔道界にはレスリングを「柔道の亜流」と見なす傾向が強く、内藤の情熱はすぐには日本の土壌に根付かなかった。やがて日本の表舞台から姿を消し、台湾の製糖会社に勤務。台湾で結婚した後、会社を退職し、かねてからの夢であったブラジルへの移住を決意した。1928年、家族と共にブラジルへ渡り、サンパウロ州スザノ市で農業に従事する傍ら、私財を投じて柔道場「推開道場」を開設した。ここでは日系移民だけでなくブラジル人にも分け隔てなく柔道を指導し、その精神と技術の普及に大きく貢献した。生活のためではなく、柔道を通じた人間教育を重視し、生徒から月謝を取らなかったというエピソードも残されている。ブラジル柔道界の組織化にも関わり、指導者として重きをなした。また、園芸事業でも成功を収め、産業協会会長を務めるなど、多方面で活躍した。晩年、ジャーナリストの取材を機に「幻のメダリスト」として再び注目され、1964年の東京オリンピックに招かれて来日。1969年には講道館より七段を贈られたが、同年9月、ブラジルで波乱の生涯を閉じた。彼の功績は母国日本では必ずしも十分な形で受け継がれなかった面もあるが、遠いブラジルの地で柔道普及の礎を築き、その名は現在もスザノ市に残る通りとして刻まれている。内藤克俊は、スポーツを通じて国際交流の懸け橋となり、異国の地で新たな道を切り拓いた真のパイオニアと言えるだろう。

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