割り勘のジレンマ

割り勘のジレンマ（わりかんのジレンマ、英語: Unscrupulous diner's dilemma、diner's dilemma）は、ゲーム理論の分野で議論される、多人数が関わる社会的ジレンマの一つです。これは、古典的な「囚人のジレンマ」を複数の参加者向けに拡張したモデルと位置づけられます。この概念は、1994年にナタリー・グランスとバーナード・ハバーマンが学術誌『サイエンティフィック・アメリカン』に発表した論文「The dynamics of social dilemmas」で紹介され、広く知られるようになりました。

ゲームの基本的な設定

このジレンマは、大勢の友人たちと一緒にレストランで食事をするという状況を想定して説明されます。参加者それぞれが好きな料理を注文できますが、その代金は全員で等しく割り勘するというルールが事前に合意されているとします。提供されるメニューは、値段の安いシンプルな料理から、非常に高価な豪華な料理まで多岐にわたります。

料理の「美味しさ」、すなわち客が得られる満足度は、一般的にその価格に比例すると仮定されます。しかし、価格が上昇するにつれて満足度も上がりますが、価格の上昇率ほどには満足度は増加しないという特性があります。また、このゲームの前提として、参加者は皆、安価な料理よりも高価な料理を好むという嗜好を持っています。

ジレンマの発生

この状況下で、各参加者は自己の利益と集団全体の利益の間で選択を迫られます。もし参加者全員が高価な料理を選択すれば、全体の支払額は高額になり、一人当たりの負担も大きくなります。逆に、全員が安価な料理を選べば、総額は抑えられ、結果的に一人当たりの支払額も安くなり、集団全体にとって望ましい結果となります。

ジレンマが生じるのは、個人の選択が自己と全体の支払額に与える影響が異なるためです。

- もしあなたが安価な料理を選び、他の全員が高価な料理を選んだ場合、あなたは注文した料理に見合わない高額な割り勘代を支払うことになります。
- 反対に、あなたが単独で高価な料理を選び、他の全員が安価な料理を選んだ場合、あなたは高価な料理を、本来の価格よりもずっと安い金額（一人当たりの負担額）で楽しむことができるかもしれません。

このように、自己の満足度を最大化するためには高価な料理を選ぶインセンティブが働く一方で、集団全体の支払額を抑えるためには安価な料理を選ぶ方が良い、という二律背反の状況が発生します。各個人が自身の満足度を優先するか、友人たちの負担軽減（全体の福利）を重視するかの選択が問われるのです。

心理学的および行動経済学的な考察

なぜ、結果として全員の支払額を増やしてしまう可能性のある高価な料理を選びがちなのでしょうか。心理学的な観点からは、「自分一人くらい高価なものを注文しても、大勢での割り勘だから個々の負担増はたいしたことはないだろう」という「自分一人くらい」という心理や、「他の人が高価なものを頼むかもしれないのに、自分だけ安いものを頼んで損をしたくない」という「損を回避したい」という感情が強く働くためと考えられています。

このような個々の参加者が、自分自身の損失を最小限に抑えよう、あるいは相対的な利益を最大化しようとして取った行動が、全員にとって最終的なコスト増大という望ましくない結果を招く構造は、社会的ジレンマの典型です。

この現象は、行動経済学の知見からも説明が可能です。特にプロスペクト理論は、人が利益を得る喜びよりも、同額の損失を被る苦痛の方が強く感じられる（一般的にその強さは約2倍とされる）ことを示唆しています。この理論に基づけば、安価なものを選んで「他の人が高価なものを選んだ場合に自分が損をする」という可能性を回避しようとする心理が強く働き、結果的に高価な選択をしてしまい、それが積み重なって全員が損をする状況（全体の支払額増大）に陥ってしまうと解釈できます。

示唆と関連概念

割り勘のジレンマは、個人的な合理的な判断や行動が、必ずしも集団全体の合理性や利益に繋がらないという重要な示唆を与えます。個々の参加者が自身の利益を最大化しようと行動する結果、全体として望ましくない均衡状態（全員が高価な料理を選ぶ状態）に達してしまうという構造は、集団行動や公共財に関する様々な問題にも共通しています。

このジレンマは、「コモンズの悲劇」（共有資源の乱用）や「フリーライダー問題」（ただ乗り）といった他の代表的な社会的ジレンマとも類似した構造を持っています。実験経済学においても、このようなジレンマ状況下での人々の行動パターンを分析するための例として用いられています。

参考資料として、提唱論文である Natalie S. Glance and Bernardo A. Huberman, “The dynamics of social dilemmas,” Scientific American 270, No. 3 (March 1994): 76-81 などが挙げられます。

もう一度検索