只野真葛

只野真葛：江戸時代後期の知性と感性を輝かせた女性

只野真葛（ただの まくず、1763年-1825年）は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した稀有な女性です。国学者として知られる一方、蘭学にも造詣が深く、文明批評家や女性思想家と評されることもあります。その生涯と、多岐にわたる著作群を紐解いていきましょう。

華麗なる生い立ちと豊かな教養

真葛は、仙台藩江戸詰の医師の娘として、江戸で生まれました。裕福な家庭環境は、彼女の人生に大きな影響を与えます。父は、蘭学や西洋医学、本草学にも通じた博識な人物で、多くの文人墨客が訪れるサロンのような邸宅を築きました。桂川甫周や前野良沢といった著名な蘭学者、そして林子平や高山彦九郎といった思想家も、父を通じて交流があったと伝わっています。幼い真葛は、こうした刺激的な環境に囲まれ、古典文学や儒学、漢籍など幅広い知識を吸収していきました。母もまた古典文学に精通しており、厳しくも愛情深い家庭教育が、真葛の知的好奇心を育んでいきます。

祖父は名医として知られるだけでなく、歌道や書道にも秀でていた人物でした。また、蝦夷開拓論者からも情報を得ていたことから、真葛の父は蝦夷地に関する知識も豊富でした。母方の祖父も仙台藩の医師で、母は『うつほ物語』の研究をするほどの教養を持っていました。こうした家系の影響もあり、真葛は幼い頃から類まれな知性と教養を身につけました。 姉が伊達宗村の側室になった縁から、林子平が訪れることもありました。

7人兄弟の長女として育った真葛は、兄弟姉妹それぞれが秋の七草にちなんだ名前で呼ばれていたことから、40歳頃より「真葛」を自身の筆名とするようになりました。

奥女中奉公と最初の結婚

16歳で仙台藩上屋敷に入り、奥女中として奉公を始めます。その後、伊達家の息女の嫁ぎ先である彦根藩井伊家上屋敷に移り、そこで5年間の奉公生活を送りました。この間、町人と武家の対立の深さを知ったり、藩内での権力闘争を間近で目撃するなど、社会の矛盾を肌で感じます。


27歳で、高齢の酒井家家臣と結婚しますが、夫の「あと5年しか生きられない」という言葉に絶望し、実家に戻ります。この結婚は、真葛にとって大きな挫折となりました。

数寄屋町での暮らしと再婚

実家に戻った真葛は、母の病気を看病し、弟妹たちの世話に追われます。この頃、地主である国学者との交流を通して、国学や歌文の学習を深めていきます。父は蘭学や東洋医学の知識を駆使して、幕府の高官とも交流を持っていましたが、天明の大飢饉や田沼意次の失脚により、蝦夷開発計画は頓挫し、家は衰退していきました。

35歳で、仙台藩の上級家臣である只野行義と再婚し、仙台に移住します。只野家は名家であり、この結婚は真葛にとって、家族のために身を捧げる決断でした。夫は読書家で、真葛の才能を認め、「昔話を書き留めよ」と励ましました。

仙台での生活と著作活動

仙台での生活は、真葛の著作活動の転機となります。夫の死後も、彼女は亡き父への思い、故郷への郷愁、そして家族への愛を綴り続けました。代表作である『むかしばなし』は、口語を多用した軽妙な文章で、江戸時代の風俗や人々の暮らしを生き生きと描き出しています。永井路子から「江戸の清少納言」と評されるほど、その文章は優れていました。また、彼女の深い思想が反映された『独考（ひとりかんがへ）』は、儒教や当時の社会風潮への鋭い批判を含み、経世済民の思想が示されています。この作品は、当時第一線で活躍していた作家、曲亭馬琴に送られ、添削と出版を依頼するも、批判的な意見を受けたのち絶交に至ります。

『むかしばなし』以外にも、紀行文『みちのく日記』、『松島の道の記』、伝説物語『奥州波奈志』など、多くの著作を残しました。これらの作品を通して、真葛の深い観察眼、鋭い洞察力、そして豊かな感性が表現されています。

晩年と評価

晩年は、相次ぐ家族の死と自身の老い、そして、時代への絶望感に苦しみながらも、『独考』を完成させます。この作品は、儒教への批判、経世済民の思想、そして女性としての強い意志が示された、真葛の代表作の一つです。


63歳で生涯を終えた真葛は、その知性と感性、そして強い信念によって、江戸時代の女性像に新たな一面を加えました。多くの著作は、現代においても高い評価を受け、研究が続けられています。

著作物

随筆・随想: 『むかしばなし』、『七種のたとへ』、『絶えぬかづら』など
紀行文: 『みちのく日記』、『塩竈まうで』、『松島の道の記』など
伝説物語: 『奥州波奈志』、『かほるはちす』など
評論: 『独考（ひとりかんがへ）』、『キリシタン考』など

只野真葛の評価

只野真葛は、単なる女性作家や国学者という枠を超え、時代の矛盾を見抜き、独自の思想を構築した女性として評価されています。彼女の著作は、現代の私たちにとっても、多くの示唆を与えてくれる貴重なものです。


主な参考文献:

鈴木よね子校訂『只野真葛集』
関民子『只野真葛』
* 門玲子『江戸女流文学の発見』

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