吉野 (ゲイバー)

六本木に花開いた伝説のゲイバー「吉野」と、オーナー吉野寿雄氏の生涯

1964年、東京・六本木の雑居ビル2階に、小さなゲイバー「吉野」が誕生しました。オーナーは吉野寿雄氏、愛称「吉野ママ」です。わずか7坪ほどの店内には、政財界、芸能界、スポーツ界など各界の著名人がひっきりなしに出入りする、伝説的な空間となりました。美空ひばり、石原裕次郎、高倉健、長嶋茂雄、坂本九といったそうそうたる顔ぶれが、その華やかな扉をくぐったのです。

しかし、2002年、六本木ヒルズの建設による開発計画のため、惜しまれつつも「吉野」は閉店を余儀なくされました。40年近くにもわたる歴史に幕を閉じ、多くの常連客に深い悲しみを与えました。

吉野ママこと吉野寿雄氏の生涯は、まさにドラマそのものです。1930年、東京・両国に生まれ、幼い頃から自身の性に葛藤を抱えていました。高等科在学中、東京大空襲を経験し、何度も焼け出されながらも家族と生き延び、終戦を迎えました。

17歳で銀座のダンスホール「美松」でボーイとして働き始めます。そこで「おしまママ」こと島田正雄に見出され、新橋の烏森神社境内にあった日本初のゲイバー「やなぎ」に移籍しました。「やなぎ」には、江戸川乱歩、ミヤコ蝶々といった著名人だけでなく、アラン・ドロン、ピエール・カルダン、イブ・サンローランといった海外の著名人も訪れていました。

「美松」で働く傍ら、数寄屋通りの喫茶店兼倶楽部「ブランシック」にも出入りしており、そこで三島由紀夫と出会います。三島由紀夫の小説『禁色』に登場する「オアシスの君ちゃん」は、吉野ママをモデルにしたと言われています。また、「ブランシック」では美輪明宏とも交流がありました。

31歳で独立し、銀座に「ボンヌール」を開店。そして、1964年東京オリンピック開催間際に、六本木に「吉野」を開店しました。

吉野ママは、2020年に公開されたはるな愛監督の映画『mama』で主演を務め、自身の半生をスクリーンに投影しました。

数々の映画やテレビ番組に出演するなど、多方面で活躍した吉野ママ。その人生は、時代の変遷とともに歩み、日本のゲイ文化に大きな足跡を残しました。「吉野」は、単なるゲイバーではなく、人々の交流の場、そして時代を映し出す鏡だったと言えるでしょう。その存在は、今もなお多くの人々の記憶に刻まれています。

吉野ママの人生は、困難や差別を乗り越え、自身の個性を輝かせた、力強い生き方の証です。そして、「吉野」という伝説のゲイバーは、日本のゲイ文化史に燦然と輝く、重要なマイルストーンとして語り継がれていくことでしょう。 数々の文献にもその名が記され、日本のゲイ文化を研究する上で欠かせない存在となっています。 その影響は、現代のLGBTQ+ムーブメントにも色濃く反映されていると言えるでしょう。

参考資料：
野地秩嘉『日本のおかま第一号―あなたは仕事に誇りをもっていますか?』メディアファクトリー、1999年3月。ISBN 978-4889918038
野地秩嘉『サービスの達人たち』新潮文庫、2008年10月。ISBN 978-4101362519

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