夏目鏡子

夏目鏡子：文豪の妻の知られざる実像

夏目鏡子（なつめ きょうこ、本名：キヨ、1877年7月21日 - 1963年4月18日）は、文豪・夏目漱石の妻として知られています。貴族院書記官長を務めた中根重一を父に持ち、裕福な家庭で育ちました。漱石との間には2男5女をもうけ、その生涯は波乱に満ちたものでした。

生い立ちと結婚

鏡子は、中根家の長女として、大切に育てられました。尋常小学校卒業後は学校には行かず、家庭教師による教育を受けました。このお嬢様育ちが、後に「悪妻」と評される一因とも言われます。見合いで漱石と出会いますが、漱石は鏡子の飾らない人柄に好感を持ち、鏡子も漱石の穏やかな人柄に惹かれました。1896年に二人は結婚しました。

結婚生活と「悪妻」説

結婚後、鏡子は家事が不得意で、寝坊をしたり朝食を用意しないこともありました。漱石に叱られると、反論することも多かったといいます。慣れない結婚生活からヒステリー症状を起こすこともあり、漱石を悩ませ、神経症を悪化させる一因になったとも言われています。しかし、夫婦仲は決して悪くはなく、漱石が家庭内で暴力を振るうようになっても、鏡子は「病気なら治る」と離婚を拒否しました。

世間では、鏡子は「猛妻」「悪妻」として知られていますが、これは当時の価値観による部分が大きいと言えます。現代の基準から見れば、鏡子の言動はむしろ良き妻、良き母であったと評価できる側面も多くあります。漱石の死後、子供たちの前で失言してからかわれると、生前の漱石が優しく間違いを正してくれたと、亡き夫を偲ぶ姿も残されています。

『漱石の思ひ出』

1927年、長女・筆子の夫である松岡譲が、鏡子の談話を筆録した『漱石の思ひ出』が発表されました。漱石との20年にわたる結婚生活が赤裸々に語られ、当時は漱石のイメージを傷つけるものとして批判されました。しかし、今日では漱石の実像を知る上で欠かせない重要な資料として、高く評価されています。

晩年と死

漱石没後も、鏡子は家族を大切にし、漱石の月命日には「九日会」を主催しました。1963年、85歳で心嚢症候群により亡くなりました。

漱石と中根家の人々

鏡子の姉妹は皆、裏表がなく率直な性格でした。妹たちは、鏡子の夫である漱石とも親しく交流し、時には辛辣な意見を言うこともありましたが、漱石はそれを受け入れていました。特に末妹に対しては、不遇な境遇を憐れみ、何かと世話を焼いたといいます。

「悪妻」説の再考

鏡子が悪妻とされたのは、当時の男尊女卑の風潮や、彼女の率直な物言いが原因でした。『漱石の思ひ出』は、漱石の精神状態の悪さを描写しているため、漱石を理想化していた門下生たちから批判されました。しかし、長女や次男は、漱石から暴力を振るわれた経験を証言し、鏡子を支持しています。孫の手記からも、鏡子が慈愛深く、家族に慕われる人物であったことが伺えます。

一部の文学研究者は、鏡子の本名「キヨ」が、漱石の小説『坊っちゃん』に登場する下女の名前と一致することから、この作品が漱石から鏡子へのラブレターだったのではないかと推測しています。

また、漱石の門下生に金銭的な援助をしていた事実から、鏡子からお金を借りていた若者たちが、反発心や借りを作ることに抵抗を感じて悪妻説を唱えたのではないかという指摘もあります。

和辻哲郎の評価

漱石の門下生であった和辻哲郎は、漱石の長男が父に対して憎悪を抱いていたことを指摘し、鏡子が漱石の癇癪に対する反感を煽ったのではないかと批判しました。一方で、和辻は『漱石の思ひ出』に描かれた漱石の描写について、一定の理解を示してもいます。

エピソード

妊娠中の鏡子に、漱石が「女は妊娠ばかりして」と愚痴をこぼした際、友人が「妊娠させる君も悪い」と返したというエピソードや、漱石が病に倒れた際に安倍能成を見て「あんばいよくなるさんが来てくれた」とユーモラスに応じた話も残されています。また、孫によれば、鏡子は三橋美智也のファンであったといいます。

映像作品

鏡子を演じた俳優には、岡田茉莉子、宮沢りえ、大塚千弘、瀬戸さおり、尾野真千子、秋山菜津子、香椎由宇などがいます。これらの映像作品を通じて、鏡子の魅力が広く知られるようになりました。

著述

鏡子の著書としては、『漱石の思ひ出』が広く知られています。


鏡子は、夏目漱石という偉大な文豪の妻として、様々な側面を持つ興味深い人物です。彼女の生涯を理解することで、漱石の作品をより深く味わうことができるでしょう。

もう一度検索