天保義民事件

天保義民事件とは

天保義民事件は、天保11年（1840年）に、出羽国庄内藩（現在の山形県庄内地方）の領民が、幕府による不当な転封命令に反対して起こした事件です。この事件は、「天保国替事件」や「天保義民一揆」とも呼ばれています。

事件の背景

幕府による転封命令

天保11年11月、庄内藩主の酒井忠器は、幕府から越後長岡藩への転封を命じられます。表向きの理由は「領内不取り締まり」という漠然としたものでしたが、実際は老中水野忠邦らが、川越藩主松平斉典の息子を養子に迎えた徳川家斉の子に、豊かな庄内藩を与えるための画策でした。

庄内藩は表高14万石でしたが、実高は21万石とも言われ、藩主の殖産興業や農政改革によって財政は安定していました。一方、川越藩は相次ぐ転封と失政で疲弊しており、庄内藩は格好の標的となったのです。

領民の反発

転封の話が領内に伝わると、領民たちは動揺しました。庄内藩の領民は、藩政改革以来、藩への信頼が厚く、大凶作の際の藩主による救済策にも感謝していました。そのため、藩に何の落ち度もないのに転封させられることに憤りを感じました。

また、転封に伴い備蓄米を持ち去られることや貸付米の返済を強要されることへの不安、そして転封先の川越藩の苛政の悪評が広まったことも、領民の不安を増大させました。

このような状況下で、領民たちは「百姓と雖も二君に仕えず」を合言葉に、転封撤回を求めて幕府に直訴することを決意しました。

直訴と事件の展開

最初の直訴

最初に江戸へ嘆願文を持って向かった11人は、庄内藩の探索により捕らえられ、庄内へ送還されてしまいました。しかし、領民たちは諦めませんでした。玉龍寺の僧侶文隣を中心に新たな計画が立てられ、選抜された21人が再び江戸へ向かいました。

江戸での直訴

21人のうち10人は庄内藩の追手に捕らえられましたが、残った11人は江戸に到着。同地で公事師をしていた庄内藩出身の佐藤藤佐に匿われました。天保12年（1841年）1月20日、11人は佐藤藤佐の指示により、幕府の要人にそれぞれ訴状を提出しました。訴状の内容は、藩主との離別を嘆き転封撤回を求めるものでした。

異例の展開

当時の直訴は藩政の非を訴えるものが一般的でしたが、この直訴は藩主を擁護するものであったため、前代未聞の出来事として江戸市中で評判となりました。庄内藩への賞賛と同情が集まり、事件は大きな転換点を迎えます。

諸藩の動きと幕府の動揺

大御所徳川家斉の死去後、政治の実権は将軍徳川家慶に移ります。家慶は、西の丸派の重臣を解任するなど、大御所政治の旧弊払拭に着手。また、庄内領民の越訴が江戸市中で評判となり、御三家や御三卿からも庄内藩への同情の声が上がりました。

さらに、庄内藩の領民たちが近隣の諸藩に国替え阻止を訴え、仙台藩や会津藩などからも幕府に意見書が提出されるなど、諸藩の間でも転封への疑問の声が高まりました。

転封の中止

こうした状況の中、家慶は転封の再考を始めます。御庭番を派遣して実情を調査し、矢部定謙に領地替えの是非を諮問した結果、家慶は三方領地替えの撤回を決断し、水野忠邦に中止を命じました。この決断は、庄内藩の豊かな実情、領民の藩主への信頼、そして転封を強行した場合の幕府の権威失墜を懸念したものでした。

水野忠邦の抵抗

しかし、水野忠邦は転封中止に強く抵抗し、庄内領民の越訴は庄内藩による扇動であると主張しました。家慶は水野の主張を受け、庄内藩の調査を命じますが、調査の結果、水野の転封工作が明らかになります。これにより、転封は正式に中止されることとなりました。

事件の後

転封中止の知らせは、庄内藩に歓喜をもたらしました。しかし、その後の庄内藩は、幕命により印旛沼疎水工事を任じられ多大な出費を強いられることになります。また、転封再吟味を具申した矢部定謙は、水野によって失脚、幽閉され、失意のうちに病死しました。

この事件は、領民が藩主を支持して藩を救った美談として語り継がれていますが、同時に幕府の権威が揺らいだ事件としても捉えられています。また、水野忠邦の専断による幕政の腐敗が露呈した事件としても、歴史に刻まれています。

現代への影響

事件の舞台となった玉龍寺には、義挙を伝えた載邦碑と文隣碑が建立されており、現在も毎年7月16日に載邦碑祭が開催され、事件を後世に伝えています。この事件を題材にした藤沢周平の小説「義民が駆ける」も執筆され、広く知られるようになりました。

天保義民事件は、領民の団結力と、不当な権力に屈しない勇気を示す歴史的な出来事として、現代においてもその教訓を伝えています。

もう一度検索