天文本源氏物語系図

天文本源氏物語系図：多様な系統を統合した系図

天文本源氏物語系図は、源氏物語の登場人物たちの系譜を記した系図の一つです。天文19年6月27日（1550年8月9日）の奥書を持つことからこの名が付けられました。現存する写本はありませんが、江戸時代に広く普及した『湖月抄』の巻頭に収録されていたため、その内容は広く知られています。

系図の成立と特徴

長享2年（1488年）、三条西実隆によって編纂された「実隆本」系図の出現以降、それまでの様々な源氏物語系図（古系図）は影を潜め、実隆本を祖とする系図が主流となりました。しかし、天文本は実隆本成立後にも関わらず、実隆本系統とは異なる古系図の流れをくむ系図である点が注目されます。

天文本は「九条家本」、「為氏本」、「正嘉本」など、複数の系統の伝本の要素を融合した混成本と言えるでしょう。系譜部分には189人もの人物が記されており、常磐井和子の提唱する「系譜に収録される人物数が少ないほど古い」という法則に従うと、天文本は比較的後世に成立した、増補された系図であると推測できます。

奥書の内容と作成者

巻末の奥書には、天文19年6月に「桃華宋央」という人物が、ある人の依頼で書写したことが記されています。「桃華宋央」は一条家の別名と考えられ、当時の一条家当主、一条兼冬である可能性も示唆されていますが、断定はできません。
奥書には、系図に記された人物名や注記に疑問点が多いこと、河内本や青表紙本など、異なる写本との差異や、書写過程での誤りが原因ではないかと推測する記述もあります。これは、当時複数の系統の源氏物語が存在し、その写本間の差異が系図作成に影響を与えていたことを示唆しています。

人物配列と実隆本からの影響

人物の配列は、古系図の基本的な順序に従いつつ、実隆本に見られる特徴も反映しています。具体的には、まず長子から順に子孫を記し、その後親、子、孫の世代をまとめて記述するという、実隆本独自の配列方法の影響が見られます。これは、親の世代から子の世代、孫の世代へと、下の世代から上の世代に戻る記述をしないという原則に基づいています。

巻末の付録

系譜部分の後に、「不入系図人々」、「巻の次第」、「清少納言作加巻々名」、「古物語名」、「源氏数本事」といった項目が続きます。「巻の次第」は巻名目録ですが、各巻の由来や光源氏の年齢が記されており、一条兼良による源氏物語年立の影響が見て取れます。『大乗院寺社雑事記』に記された、一条兼良の子である尋尊大僧正の日記『尋尊大僧正記』の記述とも共通点が見られます。

また、「清少納言作加巻々名」には『源氏物語』の想像上の巻名、「古物語名」には『伊勢物語』など複数の物語の名称、「源氏数本事」には河海抄とほぼ同じ8つの写本名が挙げられています。これらの記述は、「為氏本」や「正嘉本」など他の古系図にも見られるものであり、『大乗院寺社雑事記』の記述とも類似性が高いです。さらに、紫明抄や河海抄といった注釈書の名称も挙げられていますが、これは他の古系図には見られない特徴です。

天文本の意義

天文本源氏物語系図は、単なる系図を超えて、室町時代の源氏物語伝承の状況を反映した貴重な資料です。複数の系統の伝本を統合し、独自の構成を持つ天文本は、当時の源氏物語研究の状況や、写本間の差異、さらには注釈書の影響などを理解する上で重要な手がかりを与えてくれます。その内容は、後世の『湖月抄』を通して、広く読者に影響を与えたと言えるでしょう。

参考文献

常磐井和子『源氏物語古系図の研究』笠間書院、1973年
伊井春樹『源氏物語注釈史の研究 室町前期』桜楓社、1980年

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