夫木和歌抄

概要

『夫木和歌抄』（ふぼくわかしょう）は、夫木集とも称される、鎌倉時代後期に完成した私撰和歌集です。遠江国の地方武士であった藤原長清（ふじわらのながきよ）によって編まれました。『万葉集』以降の膨大な歌の中から、当時の勅撰和歌集には選ばれなかった作品を中心に集められており、その収録数は1万7千首を超え、作者は約970人に及ぶ、きわめて大規模な歌集です。他の歌集に収録されず、本書にのみ伝わる歌も多く含まれているため、現代の国文学研究において非常に価値の高い資料とされています。

撰者、藤原長清

この和歌集の撰者である藤原長清は、現在の静岡県牧之原市にあたる遠江国榛原の勝間田城主でした。勝間田長清という名でも知られますが、生没年は残念ながら明らかではありません。長清は都に上り、高名な歌人である冷泉為相（れいぜいためすけ）に師事して和歌の道を深め、『夫木和歌抄』を編むに至りました。また、彼は時宗（じしゅう）に深く帰依しており、一遍の弟子である僧他阿（たあ）に学んだことも知られています。延慶3年（1310年）に他阿を訪ねて歌合を開いたという記録があり、この頃に本書が完成したと考えられています。地方の豪族がこれほど大規模な和歌集を編纂した例は、当時としては非常に珍しいことでした。

編纂の背景と命名

『夫木和歌抄』は、収録歌数が膨大であることに加え、歌の題材ごとに細かく分類されているのが特徴です。特に、歌枕（和歌に詠み込まれる名所）については、一部がいわゆる「いろは順」で並べられています。これは、将来的に勅撰和歌集が編纂される際に、その参考に資することを目的としたものと推測されています。同時に、和歌を学びたい人々にとっての手引き書となることも目指されていました。後代の写本には「この道に志を持つ人のために」編纂した、という趣旨の記述も見られます。

本書が編纂された時期は、時の権力者であった京極為兼（きょうごくためかね）が主導して勅撰和歌集『玉葉和歌集』（ぎょくようわかしゅう）の編纂が進められていた頃と重なります。長清の師である冷泉為相は、この『玉葉和歌集』の撰者に加わりたいと希望しましたが、それは実現しませんでした。藤原長清が『夫木和歌抄』の編纂を決意した背景には、こうした師の立場や当時の歌壇の状況があったのではないかと推測されています。

和歌集の題名を決めるにあたり、長清は夢枕に平安時代の歌人、大江匡房（おおえのまさふさ）が現れ、「扶桑集（ふそうしゅう）」とするように告げられたと伝えられています。この夢告について冷泉為相に相談したところ、「扶桑」は日本の美称であり、私撰集の題名としては少々畏れ多い、として、「扶」から「夫」を、「桑」から「木」を取って「夫木集」とするのが良い、という為相の助言により、最終的に『夫木和歌抄』という題名に決定したとされています。

集の構成

『夫木和歌抄』に収められているのは、『万葉集』から『新後撰和歌集』までの勅撰和歌集には未収録だった歌です。歌人については、約970人が集められ、その総数は17,387首に及びます。身分や性別、年齢に関わらず幅広く選ばれていますが、当時の歌壇で京極為兼と対立していた二条派（にじょうは）の歌人の作品は比較的少ない傾向にあります。

これらの歌は、主題によって細かく591のカテゴリーに分類され、全36巻に収められています。構成は、まず「四季」とそれ以外の「雑」に大きく二分され、それぞれ18巻ずつ、計36巻となります。

「四季」の部は、勅撰集と同様に「春」（第1～6巻）、「夏」（第7～9巻）、「秋」（第10～15巻）、「冬」（第16～18巻）という構成をとっています。

「雑」の部は、第19巻から第36巻まであり、天象（天文現象）、地儀（地理）、人倫（人間関係）、人事（人生の出来事）など、約10種類の主題にさらに細分化されています。この「雑」の部には、動植物について詠まれた珍しいタイプの歌も多く収録されているのが特徴です。写本によっては多少の違いがありますが、例えば地儀の部では、一般的な「山」に関する歌の後に、具体的な山の歌枕がいろは順で並べられています。人事の部には「恋」に関する歌なども含まれます。

後世への影響

『夫木和歌抄』は、師である冷泉為相が『玉葉和歌集』の撰者になれなかった一方で、皮肉にもその『玉葉和歌集』の編纂に際して参考にされたと言われています。また、後代の和歌集編纂や、和歌を学ぶための参考書としても広く活用されました。その膨大な収録歌数と詳細な分類は、後世の人々にとって貴重な手がかりとなったのです。

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