女大学
『女大学』（おんなだいがく）は、江戸時代中期以降に女子向けの教訓書として広く読まれ、普及した書物です。書名の「大学」は、現代の教育機関を指すのではなく、儒教の基本的な経典である四書の一つ、『大学』を典拠としています。
本書の成立には、江戸時代の著名な儒学者、貝原益軒が著した『和俗童子訓』第五巻に収められた「女子に教ゆる法」が深く関わっています。享保年間（1716年～1736年）に幕府が進めた教化政策の流れに乗り、当時の出版業者が益軒の原文をより分かりやすく、一般向けに簡略化して出版したものが『女大学』であるとされています。現存する最も古い版は享保14年（1729年）に刊行されたもので、その後、挿絵や付録が加えられた様々な異版が数多く出版されました。益軒の原文が結婚前の女子教育に焦点を当て、17か条で構成されていたのに対し、『女大学』は文字数を約3分の1に減らしつつも、19か条に再構成されています。また、益軒の妻で歌道などにも通じていた東軒（内助の功があったとされます）の協力が、成立を早めたとも考えられています。
『女大学』は、儒教思想に基づいた女性としての生き方や心得を19か条にわたって説いています。幼少の頃からこれらの教えをしっかりと身につけることが非常に重要であり、嫁入り道具を立派に揃えることよりも、こうした精神的な教育こそが女性を真の幸福に導く道であると説きます。序文では、女性にとって外見の美しさよりも、内面の豊かさや品格が大切であると強調しています。
具体的な内容は、大きく分けて二部構成となっています。最初の1条から3条までが女子教育の根本的なあり方について述べ、続く4条から19条までが嫁いでからの具体的な生活における婦人の心得について詳述しています。
本書に記された教えは、当時の社会構造を色濃く反映したものです。いくつか例を挙げます。
幼少期からの教育の重要性：女子は成長して嫁ぎ、夫やその両親に仕えるため、幼い頃から過保護に育ててはならず、しっかりとした躾が必要である。
内面の重視：容姿よりも心根が善良であることが最も肝要であり、従順で貞節、そして情け深くしとやかであるのが理想とされる。
男女の別：日常生活のあらゆる場面で男女の区別をわきまえること。幼い子供であっても混浴などは厳禁である。
離縁の条件：嫁として受け入れられない七つの理由（七去の法）にも言及している。
舅姑への孝行：嫁いだ後は、夫の両親を自分の実の両親以上に大切に仕えること。
夫への服従：妻は夫を主君（絶対者）として敬い、それに従うべきである。
親族との関係：夫の兄弟や親戚も敬愛すること。
言葉遣いと交友：夫に対して嫉妬心を抱かず冷静に話し合うこと、無駄話や他人の悪口、悪評を伝えることを慎むこと。また、みだりに他人の家に出入りせず、親しい間柄でも用件は使いを介すのが望ましい。
勤勉と節度：婦人は勤勉であるべきで、歌舞伎や寺社仏閣など、人が多く集まる場所への外出は40歳未満の女性には好ましくないとされる。過度に神仏に頼らず、人事を尽くすこと。
倹約：万事において倹約を旨とすること。
立ち居振る舞い：若い主婦はみだりに若い男性、たとえ夫の親戚や召使いであっても近づいてはならない。衣服は華美にならず、身分相応で清潔に保つこと。
夫方の人間関係優先：自分の実家との付き合いよりも、夫方の付き合いを重視し、実家への用事も夫の許しを得て行うことが肝要である。
* 召使いへの態度：召使いがいる場合でも、任せきりにせず、自ら労苦を厭わずに家事を行うのが婦人の務めである。召使いの躾もきちんとし、不必要な者に気を配ること。
『女大学』に共通して見られるのは、一度嫁いだら再婚しないこと、夫を絶対的な存在としてこれに服従することなど、当時の家父長制に基づいた封建的で女性を隷属的な立場に置く道徳観の強調です。興味深いのは、元となった貝原益軒の思想の根底には、天を敬い人間は等しい存在であるという敬天思想に基づく人間平等観がありましたが、『女大学』ではそうした普遍的な価値観はほとんど省みられていない点です。
明治時代に入り、社会構造や価値観が大きく変化する中で、『女大学』が説く女性像は批判の対象となりました。福沢諭吉は1898年（明治31年）に著した『新女大学』で、『女大学』の思想を否定し、近代社会における女性の新しいあり方を論じました。また、渋沢栄一も大正期に出版した『論語と算盤』の中で、『女大学』によって明治以前の女性に精神的な教育は施されたものの、知識や学問を奨励しなかった点を指摘しました。さらに、明治以降に女性教育が進歩したものの、社会全体の実態としてはまだ『女大学』の影響下にある者が少なくないとし、女性を単なる道具として扱うべきではないこと、女性も重んじられ、その能力が社会で活用されるべきであることを強く主張しました。
『女大学』は、江戸時代の女性に求められた規範や社会の価値観を知る上で貴重な資料である一方、近代以降は批判の対象となり、女性の解放や新しい教育の必要性が論じられるきっかけの一つともなった歴史的な書物と言えます。
成立の背景
本書の成立には、江戸時代の著名な儒学者、貝原益軒が著した『和俗童子訓』第五巻に収められた「女子に教ゆる法」が深く関わっています。享保年間（1716年～1736年）に幕府が進めた教化政策の流れに乗り、当時の出版業者が益軒の原文をより分かりやすく、一般向けに簡略化して出版したものが『女大学』であるとされています。現存する最も古い版は享保14年（1729年）に刊行されたもので、その後、挿絵や付録が加えられた様々な異版が数多く出版されました。益軒の原文が結婚前の女子教育に焦点を当て、17か条で構成されていたのに対し、『女大学』は文字数を約3分の1に減らしつつも、19か条に再構成されています。また、益軒の妻で歌道などにも通じていた東軒（内助の功があったとされます）の協力が、成立を早めたとも考えられています。
内容の概要
『女大学』は、儒教思想に基づいた女性としての生き方や心得を19か条にわたって説いています。幼少の頃からこれらの教えをしっかりと身につけることが非常に重要であり、嫁入り道具を立派に揃えることよりも、こうした精神的な教育こそが女性を真の幸福に導く道であると説きます。序文では、女性にとって外見の美しさよりも、内面の豊かさや品格が大切であると強調しています。
具体的な内容は、大きく分けて二部構成となっています。最初の1条から3条までが女子教育の根本的なあり方について述べ、続く4条から19条までが嫁いでからの具体的な生活における婦人の心得について詳述しています。
主要な教え（抜粋）
本書に記された教えは、当時の社会構造を色濃く反映したものです。いくつか例を挙げます。
幼少期からの教育の重要性：女子は成長して嫁ぎ、夫やその両親に仕えるため、幼い頃から過保護に育ててはならず、しっかりとした躾が必要である。
内面の重視：容姿よりも心根が善良であることが最も肝要であり、従順で貞節、そして情け深くしとやかであるのが理想とされる。
男女の別：日常生活のあらゆる場面で男女の区別をわきまえること。幼い子供であっても混浴などは厳禁である。
離縁の条件：嫁として受け入れられない七つの理由（七去の法）にも言及している。
舅姑への孝行：嫁いだ後は、夫の両親を自分の実の両親以上に大切に仕えること。
夫への服従：妻は夫を主君（絶対者）として敬い、それに従うべきである。
親族との関係：夫の兄弟や親戚も敬愛すること。
言葉遣いと交友：夫に対して嫉妬心を抱かず冷静に話し合うこと、無駄話や他人の悪口、悪評を伝えることを慎むこと。また、みだりに他人の家に出入りせず、親しい間柄でも用件は使いを介すのが望ましい。
勤勉と節度：婦人は勤勉であるべきで、歌舞伎や寺社仏閣など、人が多く集まる場所への外出は40歳未満の女性には好ましくないとされる。過度に神仏に頼らず、人事を尽くすこと。
倹約：万事において倹約を旨とすること。
立ち居振る舞い：若い主婦はみだりに若い男性、たとえ夫の親戚や召使いであっても近づいてはならない。衣服は華美にならず、身分相応で清潔に保つこと。
夫方の人間関係優先：自分の実家との付き合いよりも、夫方の付き合いを重視し、実家への用事も夫の許しを得て行うことが肝要である。
* 召使いへの態度：召使いがいる場合でも、任せきりにせず、自ら労苦を厭わずに家事を行うのが婦人の務めである。召使いの躾もきちんとし、不必要な者に気を配ること。
思想的な特徴と近代における評価
『女大学』に共通して見られるのは、一度嫁いだら再婚しないこと、夫を絶対的な存在としてこれに服従することなど、当時の家父長制に基づいた封建的で女性を隷属的な立場に置く道徳観の強調です。興味深いのは、元となった貝原益軒の思想の根底には、天を敬い人間は等しい存在であるという敬天思想に基づく人間平等観がありましたが、『女大学』ではそうした普遍的な価値観はほとんど省みられていない点です。
明治時代に入り、社会構造や価値観が大きく変化する中で、『女大学』が説く女性像は批判の対象となりました。福沢諭吉は1898年（明治31年）に著した『新女大学』で、『女大学』の思想を否定し、近代社会における女性の新しいあり方を論じました。また、渋沢栄一も大正期に出版した『論語と算盤』の中で、『女大学』によって明治以前の女性に精神的な教育は施されたものの、知識や学問を奨励しなかった点を指摘しました。さらに、明治以降に女性教育が進歩したものの、社会全体の実態としてはまだ『女大学』の影響下にある者が少なくないとし、女性を単なる道具として扱うべきではないこと、女性も重んじられ、その能力が社会で活用されるべきであることを強く主張しました。
『女大学』は、江戸時代の女性に求められた規範や社会の価値観を知る上で貴重な資料である一方、近代以降は批判の対象となり、女性の解放や新しい教育の必要性が論じられるきっかけの一つともなった歴史的な書物と言えます。
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