小泉由兵衛

小泉由兵衛（こいずみ よしべえ）は、生没年は定かではないが、日本のとび職人であり、請負師として活躍した人物である。出身は武蔵国久良岐郡六浦荘村（現在の神奈川県横浜市金沢区）とされ、代々とび職を生業とする家柄であった。しかし、彼は家業の地盤から離れ、神奈川県横須賀へと活動の場を移した。

由兵衛が移り住んだ当時の横須賀は、近代日本の国防を担う重要な軍港として急速な発展を遂げつつあった。特に1884年（明治17年）に横須賀に海軍鎮守府が置かれて以降、日清戦争（1894年～1895年）、そして日露戦争（1904年～1905年）を経て、その重要性はますます増大していく。軍港としての機能拡充に伴い、軍艦への物資積み下ろしや施設建設など、大量の労働力が必要とされた。由兵衛はこうした軍港特有の需要に応える形で、労働者派遣を主とする請負業を手がけ、その分野で頭角を現していく。

当時の横須賀において、軍港関連の請負業、特に「仲仕」と呼ばれる港湾労働者の仕切りは、大きな利権を生み、これを巡って様々な組織が勢力争いを繰り広げていた。中には、仲仕請負を足がかりとして、やがて「やくざ」組織へと発展していく集団も現れた。由兵衛が率いる組織は「小泉組」と呼ばれ、同時期に横須賀で勢力を持っていた博徒組織「目兼組」と、この仲仕請負の縄張りを巡って激しく対立した。目兼組が前時代的な博徒の系統を汲む組織であったのに対し、由兵衛の小泉組は、とび職の技術集団を源流としつつ、近代的な請負業へと適応していく新興勢力という性格を持っていた。この縄張り争いは、最終的に小泉組が目兼組を抑え込み、横須賀軍港における請負業の主導権を確立することで決着したのである。由兵衛は、この抗争を勝ち抜いた小泉組の親方として、その勢力拡大の基礎を築いた人物であった。

由兵衛には複数の息子がおり、中でも二男の又次郎に家業を継がせることを強く望んでいた。しかし、又次郎は家業を嫌い、一度は家出をしてしまう。連れ戻された又次郎に対し、由兵衛は激しく叱りつけ、「この親不孝者が、よくも勝手に出て行ったな。お前は長男ではないが、何としても家業を相続しなければならないのだ。今日限り心を入れ替えて家業を継げ！」と厳しく言い渡したとされる。だが、又次郎は由兵衛の期待に反し、家業を継がず、やがて政治の世界に進むことになる。

又次郎は1887年（明治20年）、由兵衛と親交のあった戸井嘉作の誘いを受けて立憲改進党に入党する。この時、由兵衛は「こうなってしまっては仕方がないが、結局、息子一人を駄目にしてしまった」と嘆いたという。又次郎自身は当時、特に強い政治的信念があったわけではなく、入党もたまたま知人の誘いによるものであったとされる。結局、小泉組（後に土木建築請負業となる）は、由兵衛の三男である岩吉が継いだ。岩吉は多額納税者となるほど事業を成功させ、政治家となった兄・又次郎の度重なる資金援助の申し出にも快く応じ、支え続けたという。

小泉由兵衛は、横須賀軍港の請負業を巡る激しい競争の中で一大組織を築き上げ、また、息子又次郎を通じて、後の日本の政治史に大きな足跡を残す小泉家（小泉純也、小泉純一郎、小泉進次郎など）の祖となった人物として、その名は記憶されている。

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