小田観螢

小田 観螢（おだ かんけい）

小田 観螢（1886年〈明治19年〉 - 1973年〈昭和48年〉）は、明治から昭和にかけて活躍した日本の歌人です。本名を哲弥（てつや）といい、北海道歌壇の礎を築いた人物として、「北海道歌壇の草分け」や「北海道歌壇の功労者」と称されています。また、二度妻に先立たれるという辛い経験を乗り越え、ひたむきに歌作を続けたことから、「逆境の歌人」としてもその名を知られています。

生涯

観螢は1886年、現在の岩手県久慈市にあたる九戸郡宇部村に生まれました。幼少期から伯父である小田為綱の教育を受け、13歳にして中国の歴史書『一八史略』を読み解くなど、周囲の大人を驚かせるほどの才覚を見せていました。

しかし、1900年（明治33年）に家が破産したため、学業を断念せざるを得なくなります。一家は母方の叔母を頼って北海道小樽に移り住み、観螢は奥沢小学校で代用教員として働き始めました。その後も北海道内の様々な学校に転任し、開拓地で暮らす子供たちに教える傍ら、自らも畑仕事に励むという、半農半教の生活を長く続けました。

歌人としての歩み

教員として働く一方で、観螢は文学への関心を深めていきます。小樽で最も歴史のある和歌の結社「小樽興風会」への入会を機に、歌人としての道を歩み始めました。北海道の文芸誌だけでなく、若山牧水の歌誌『創作』や太田水穂主宰の『潮音』などにも作品を発表し、次第に歌壇での評価を高めていきました。

1911年（明治44年）8月には、教員仲間と共に十勝岳へ登山中に遭難。10日後に奇跡的に救助されるという劇的な体験をしました。この遭難は、彼が歌人として広く知られる大きな契機となります。極限状態の中でも観螢は歌を詠み続け、夜はクマを避けて木の上で過ごしながらも「火を焚けど背（そ）びら冷たく霧ふりてまどろむ間なく夜はあけにけり」「氷雨ふるこごし岩根に深山鳥（みやまどり）巣ごもり鳴けば涙しくだる」といった歌を残しました。この遭難体験に基づく一連の歌は、後に第一歌集『隠り沼（こもりぬま）』に収められています。

1916年（大正5年）、富良野の鳥沼小学校で訓導兼校長を務める頃、彼は最初の妻との間に3人の娘をもうけていました。しかし翌1917年（大正6年）、妻が急性肺炎で急逝します。学校での仕事に加え、幼い3人の娘を一人で育てるという困難な状況に直面しましたが、観螢は歌作への情熱を失いませんでした。深い悲しみと苦悩の中から生まれた慟哭ともいえる歌々は、後の歌集に収められました。1918年（大正7年）に山梨の歌人、米倉久子と再婚。同年に発行された歌集『陰り沼』（『隠り沼』とは別の歌集）は、全国的な反響を呼び、多くの読者の涙を誘いました。

1923年（大正12年）、当時の名門校であった小樽中学（現在の北海道小樽潮陵高等学校）に抜擢され、小樽に戻ります。同年には両親とも死別しました。また、山梨出身の久子夫人は北海道の厳しい気候が体に合わず、療養のため単身山梨へ帰郷することになり、観螢は子供たちを抱えて妻と別居生活を送ることになります。

1930年（昭和5年）、彼は短歌誌『新墾（にいはり）』を創刊し、北海道の短歌の発展と後進の育成に力を注ぎました。しかし1938年（昭和13年）2月、久子夫人の重病の報を受け、子供を連れて山梨に駆けつけますが、病は篤く久子夫人は亡くなりました。こうして、観螢は先妻と後妻、それぞれの間に生まれた合計5人の子供たちを男手一つで育て上げるという、想像を絶する苦労を経験します。これが彼が「逆境の歌人」と呼ばれる所以の一つとなりました。

その後、『新墾』の同人を三人目の妻として迎え、生活はようやく安定します。観螢は数多くの歌集を出版し、精力的に活動を続けました。

戦中・戦後

太平洋戦争中の1944年（昭和19年）、物資不足から『新墾』は休刊を余儀なくされますが、終戦翌年の1946年（昭和21年）1月には、家族総出の協力によって復刊を果たしました。しかし、当時のGHQによる事前検閲は厳しく、検閲済みを示す白い封筒が送られてくるたびに、観螢は複雑な思いを抱いていたといいます。

戦後の『新墾』からは、歌論にとらわれない自由な作風を持つ若い歌人たちが多く育ちました。中でも中城ふみ子は、観螢が特に力を入れて指導・支援した歌人です。中城ふみ子は1946年頃から『新墾』に参加し、観螢の人柄と短歌批評を深く信頼していました。1954年に『新墾』の若手歌人が新しい歌誌『凍土』を立ち上げた際、中城ふみ子もそれに参加しましたが、観螢が主宰する『新墾』には最期まで籍を置き続けました。

観螢は中城ふみ子の歌壇への進出を熱心に支援し、彼女が日本短歌社の五十首応募で特選に選ばれ、病床で歌集『乳房喪失』の刊行を急ぐ際には、その校正を一手に引き受け、出版を陰で支えました。中城ふみ子はこの歌集の後書きで、「昭和二十一年入社以来適切な御指導を賜った 新墾の小田観螢先生」と感謝の言葉を記しています。

観螢の教員生活は50年に及び、小樽高等商業学校（現・小樽商科大学）、北照高等学校、札幌短期大学などで教鞭をとりました。その傍ら歌作を続けるとともに、多くの学校の校歌を作詞しました。作詞した校歌は、小樽市内だけで14校、北海道内外合わせると30数校に及ぶと言われています。

晩年と評価

1972年（昭和47年）の大晦日には、家族を集め、伝家の刀や家の歴史を語るなど上機嫌でしたが、翌1973年（昭和48年）元旦、心不全により86歳で急逝しました。同年1月には米寿の祝賀会が予定されていた矢先の訃報でした。告別式には千人もの人々が駆けつけ、その人望の厚さがうかがわれました。小樽市緑にある歌碑は、1963年（昭和38年）に観螢の喜寿を記念して建立されたもので、1億8千万年前のジュラ紀の巨岩が用いられています。他にも富良野市の鳥沼公園や、生誕地の久慈市内にも歌碑が建てられています。

観螢は飲酒や喫煙の習慣がなく、非常に高潔な人物でした。性格は明るく快活で、冗談や洒落を交えながら人と接したため、多くの人に好かれました。学校でも生徒からの敬愛を集めていました。文芸評論家の菱川善夫は、観螢を無声映画の活弁を思わせるような美しい語り口の持ち主であったと評しており、菱川自身の美文調の評論スタイルにも観螢の影響が大きいと見ています。

歌人としての評価は、その変遷に特徴があります。明治期には『万葉集』の影響が色濃かった歌風が、大正期には『新古今和歌集』や松尾芭蕉の俳諧の技法を取り入れ大きく変化し、さらに後年には反写実的な表現や前衛歌人からの影響も見られるようになりました。この柔軟な変化から、歌人の山名康郎は観螢を「無所住心（心が特定の場所に留まらない、無限な魂）」の歌人と評しています。太田水穂は、『潮音』に長く出詠したことで地方歌壇に留まった感を惜しみつつも、「『潮音』から離れて中央歌壇に場を求めれば、名を輝かせる歌人になっただろう」とその才能を高く評価しています。

観螢の短歌には、亡き妻を偲ぶ悲哀に満ちた歌が多い一方で、その悲しみから立ち上がり、濁りのない自然な情景を詠んだ歌も数多く残されています。太田水穂は歌集『陰り沼』の序文で、「君の心に触るる物は直ちに君自身の物であるといふ境地──言葉を換へて云へば一切の物に『我れ』を見ると云ふやうな境涯」と、対象と一体となる観螢の歌境を称賛しています。苦境の中にあっても歌への情熱を失わなかったその精神力は、多くの人々に感銘を与えました。

自らの歌作に加え、歌誌の選者として短歌の普及に尽力した功績は大きく、「北海道歌壇の功労者」「北海道歌壇の祖」として、その名前は現代にも伝えられています。

代表歌

距離感の 近き銀河を あふぎ居り 身は北ぐにに 住みふさふらし

十勝岳 火は生くかぎり 絶えせねば けはしき道も われは行くべし

門遠く 山脈（やまなみ）の空 秋晴れて 我が打つ板木 こだまをかへす

ふるさとは 路傍のうなゐ 荷車を 輓ける牛さへ 見過ぐしがたし

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